2005-11-29

英語で密教を説明??

今日、アメリカ人の青年でボビーさんという方がホームステイにきたんだけれど(翻訳家の山川紘矢さんにご縁のある方で、好青年です)密教とはなにかと聞かれて、はたと困った

ZENでもないし、namuamidabutsuでもない
Meditationといえばそうだが、それだけでもない
buddhist practiceなんちゃったら、誤解されそうだし

esoteric buddhismなんて言っても、わからんのよ、一般人は
これは、学術用語ですからね
大学でこんな言葉習ったって一般社会じゃ通じないよ

ふーむ


buddhist yoga  か

いろんな 仏 と 人 を つなぐ と





「やってみたい」のだそうですけど

どうしますかね

ホントの所、僕は一人で拝むのが好きなんです
ですから、僕の寺は、僕にとっては理想的です

・・・そういえば、高野山にいたときは、加行監督で、大学生なんかに教えてたんだけど
いやー、忘れてた、人に教えてたんだよなー、若い子に・・・僕も若かったか・・・

初心忘れるべからず、ですね


♪違った角度から考えるきっかけになって、面白いね♪

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2005-11-28

天台大師



天台大師像  一幅  長保寺蔵  

絹本著色 縦97.6 横52.4 桃山(16世紀)

天台大師智ギ(538?597)は『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』の天台三大部などを講述し、中国天台の実質的開祖として尊崇されている。
天台大師の画像の多くは、禅鎮を乗せた頭巾を被り、禅定印を結んで瞑目する姿であるが、長保寺伝来のこの画像は、脇息を前にして左手を乗せ、右手に如意を執る、説法相の大師である。
「寄進帳」に和歌浦雲蓋院第4代住職憲海(寛文12年まで在職)が修復を奉納したとあり、やはり長保寺が紀州徳川家の菩提寺となる以前から什物として釈迦堂に備えられていた画像である。



詳しくはこちら
 天台宗典編纂所

長保寺の僧宝のページはこちら



いちおう、うちの寺は天台宗ですので
載せときます

この画像は、天台大師の画像としては日本を代表するものです
NHKの〔ラジオ 宗教の時間〕天台小止観をよむ-仏教の瞑想法 村中祐生 でもテキストに載せています

日本の天台宗は、中国の天台大師の流れをくんで発展してきました
ですが、直接、最澄と天台大師が出会ったということではありません

いまでも中国の天台山にいくとお寺が再興されていますが、そこの国清寺というお寺が中心になって、インドから細切れに輸入された仏教を再構築しました

その再構築されたのが天台学で、それを最澄は学びました
そして、日本で比叡山に延暦寺を開創し日本の天台宗を始めました
ただ、中国と日本は名前は天台宗ですが、同じものではありません
日本では、密教が付け加えられました

大乗仏教を整理体系化したのが天台大師で、その基礎のうえに密教を付け加えたのが比叡山です



当節、密教といえば真言宗の弘法大師ということになりますが、密教輸入時代には天台宗の方が活躍していたのは経典の数量からして明らかです。

天台宗は真言宗の約3倍の経典を中国から持ち帰っています。
八家秘録(平安時代入唐した八人の僧の請来目録)によると

真言宗関係の請来書
465部  888巻

天台宗関係の請来書
1201部 2326巻


真言宗は弘法大師があまりの大天才であったため、弘法大師以後教学的にはさしたる進歩がなく、宗教史に名を残すような傑出した人物もほとんど輩出しませんでした。天台宗は慈覚大師、智証大師などにより、最新の経典を根拠に広い視野で密教をとらえるようになっていきました。
長保時代(1000)頃には高野山は荒廃しきって住む者もありませんでしたが、比叡山は天皇家を中心にして隆盛を極めたのです。

一口に「比叡山は日本仏教の母山」と言いますが、主な宗派の開祖は皆、一度は比叡山で学んでいます。

法然
(1133-1212)
浄土宗
15才の時、比叡山で得度

親鸞
(1173-1262)
浄土真宗
始め比叡山に学び、後に法然の弟子となる

栄西
(1141-1215)
臨済宗
比叡山に学び、密教の一派、葉上流を興す。
二度入宋し天台山にて禅を学ぶ

道元
(1200-1253)
曹洞宗
始め比叡山に学び、栄西の弟子となる
栄西没後入宋し曹洞禅を学ぶ

日蓮
(1222-1282)
日蓮宗
比叡山にて法華経を学ぶ

日本文化の根元を知ろうとするなら、比叡山の仏教を知る必要がある、ということです。


いえいえ、自慢じゃありません

事実を述べたまでです


♪最澄は慈悲を仏教の中心に据えました。そこから日本仏教が発展していきました♪

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2005-11-27

ランキング

アミさんspiritwalkerさんi神さん、皆さん精神世界ランキングに参加してらっしゃるんで、僕も始めました

これからは、自分の言葉で、実際に感じたことを語る時代なのでしょうね

僕は、仏教的な考え方について、意外と皆さんご存じないようなので、できればわかりやすくご紹介したいと考えています

仏教には2500年の歴史があるのですから、必ず参考になることがあると思いますよ


興味本意、怖い物見たさ、だけで霊的世界を覗こうとする人が多いですけど、自分自身の判断力を養うことが大事ですよ
ああせい、こうせい、という指示を待つのではなく、自分のフィーリングを大切にね


スピリチュアルな生活というのは


悪いことをしない
自分がされていやなことは他人にしない、というのが基本でしょう

善いことをする
なにか善いことをするときは、他人を理解し共感することが大事です

心を清らかにする
因果応報の摂理は霊界でも同じです。よくよく自覚しなければなりません


この3つが大事ですよ


あのー

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2005-11-26

般若心経


般若心経       一巻

紙本墨書 縦26.0 横42.2
奈良後期(8世紀) 長保寺蔵


般 若心経とは、般若経典群の精髄を説いた経典である。本品は褐麻紙に書かれており、淡墨で界線をめぐらしている。慈覚大師(円仁)筆という伝承があるが、 「隅寺心経」と呼ばれる奈良・海竜王寺で奈良時代後期初めに書写された一連の般若心経(弘法大師筆という伝承も存在する)である可能性が強い。本文中に二 箇所三文字について切貼の修正が施されているが、これは書写時期をそう降らない時期のものであろう。
なお、表紙や見返しの装飾・本紙裏打ちなどは江戸時代に行われたものである。宝物目録などによれば、貞享2年(1685)に、和歌山の林道拙なる人物が、長保寺に寄進したということである。

詳しくはこちら 長保寺蔵の経典のページにリンクします




一連の日本最古の般若心経のうちの一つです
だいたい天平時代8世紀中頃のもので、「隅寺心経」より古い般若心経は日本にはありません
というか、日本以外にもありません

般若心経はお釈迦様が霊鷲山(りょうじゅせん)でお説きになりました
密教では仏菩薩だけでなく神様にもこのお経を読んで祈願します

神仏通用して使うお経ですね


画像をクリックしたら拡大して表示されます
神韻とした天平の息吹が感じられるでしょうか


♪文化財シリーズもやろうかと思います♪

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2005-11-23

光の瞑想 解説

右上のお釈迦様をクリックすると行けるのですが、光の瞑想を若干手直ししました

とりあえず作ってアップしていたのですが、けっこう読んでくださる方もいるようで、真剣に(いままで不真面目ということではありませんが 汗)書かれている言葉と実際やった感触がかけ離れたものにならないように表現を吟味しました

書かれた文字ですので、まだまだ行き届かないだろうとは思いますが、とりあえず、こんなもんでしょう


密教の立場から言えば

学びを終えた光が、常に無条件にぼくらを照らしている


ということが受け入れられれば、この瞑想をすることができます
手伝ってもらって、因果のある世界を越えた、根源を自覚するという考え方です


脱線するかしないかを見極めるセンサーは「慈悲」の感触です


おじいちゃん、おばあちゃんが孫を見つめるような、5月の爽やかな風のような、昇る朝日のような、「慈悲」の感触が大事です

根源がはっきり表層意識のレベルと同化すると、五神通が生じることがありますが、これはオマケで、思い上がってはいけません

あなたの心の奥底が、性根が問われます

そこから、また生き様が問われて行くのです


♪参考にしてね♪

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2005-11-21

コーヒーと紅茶

この宇宙の、精妙さ、不思議さ、美しさ、残酷さ
それらのことがなにかの意志の存在を感じさせてしまう

どうしてもキリスト教文化圏のひとは、創造主といった考え方から抜けられない
神にたよらなければ、救いはない
神と契約するという発想になる

イスラムも契約先が違うということ

仏教のロジックでは、諸行無常・諸法無我で、特に意志の存在を想定せず、成り行きで宇宙があるかの説明をする
ダルマを理解すれば、因果応報の世界から抜けられるという発想になる

密教では大日如来という存在があって、宇宙が統一的秩序で成り立っているという発想をする
ダルマを視覚化して寓話性をもたせれば、そういうことになる

神道は、アニミズム系の発想で、意志をもった存在が切磋琢磨しながらこの世界で活動していることを強調する
世界の構造にたいする認識にはそれほど感心がない
突いたり引いたり、ダイナミックに転変する世界からから離れない

先祖の霊、神、仏、菩薩、天使、守護霊、護法善神、妖精、宇宙人、妖怪、魑魅魍魎、邪霊、悪霊、悪魔、etc
実に様々な人間以外の存在について語られてきたが、人間と接触しなければ、興味は持たれないのだろう
人間様の都合で、善いの悪いのと騒ぎ立てる


弘法大師は十住心論で、仏教の精神世界を階層的に整理して、序列を決めたのだが
歴史の示すところ、その後の発展がなく「ああそうですか」で終わってしまった
弘法大師の場合、霊験伝説のほうが受けているのが現実

なぜか伝教大師の「大乗の菩薩思想」がその後発展を続け、比叡山から多くの天才を輩出した

ウィルバーの「意識のスペクトル」もコンセプトは十住心論に似てる
精神世界の「構造説明」よりも、「取り組む姿勢」のほうが普遍性をもつことになったという歴史的教訓からすれば、トランスパーソナルといったアプローチは学者の机の上だけのものになる可能性が高い



今日、朝、牛乳を温めて飲んだ
それからコーヒー、紅茶どちらかをいれようと思った
時々、抹茶も点てて飲む
このところ白湯も多い

うちの寺の茶店では、ショウガ湯、甘酒もだすしビール、ジュース、ワンカップもある

当然のことながら、いっぺんに全部を飲むなどということはしない

時と場合と嗜好にあわせ、てきとーに選んで飲む
同じ物ばかりでは飽きてしまう

で、その、「てきとーに選ぶ」時
どのような基準で選んでいるのか

まあ、フィーリングかな

コーヒーより紅茶がよくて、抹茶はこの時間はだめで、白湯はどうの、ショウガ湯があれで、などと講釈を延々として、序列を決め、階層構造を把握し、世界秩序に照らし合わせ、コーヒー原理主義を叫び、紅茶排斥運動をし、結局、白湯しか飲まない、などと言う人はいないだろう

コーヒー以外絶対ダメ、でもなく、人体に対する有益性による序列、でもなく、てきとーに選ぶ

てきとーに選ぶとき、従うのは、「自分の思い」ですよね

「自分の思い」が確立してるのが、ほんとの普遍性じゃないですか


キリスト教のよさ、イスラムのよさ、仏教のよさ、密教のよさ、神道のよさ、無神論のよさ、唯物論のよさ、拝金主義のよさ、共産主義のよさ、等々

それぞれ役割と長所短所をもっていることを見つめる「智慧」が必要なのではないですか
そして「智慧」を活用する「自分の思い」がどんなものかが最も大事でしょう



♪「慈悲と智慧」なんちゃったら仏教になっちゃうが、しかたねーなー、しっくりくるもん♪

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2005-11-18

典型的拝み屋さん

「あー、あなた、なんか悩み事があるでしょ」

これを、会う人すべてに言う
タクシー乗ったら運転手に、町内会にいったら隣の人に、新年会では向かいの人に、てあたりしだいに声をかける
[よけいなお世話ですよ]

100人に声をかけて、話に乗ってくるのが50人です


[そうなんですよ。なんでわかったの]

「私にはそういう力があるんです。人助けが使命なんです」
「家相がよくない」「墓相がよくない」
「あなたの宗派じゃだめだ。先祖が浮かばれていない」
「天の声がきこえるんです」
「人相にでているんです」
「オーラが見えます」
いろんな得意分野があります

ここのところで50人中、40人が[あほくさ]で終わります

[ええっ!そうなんですか! 実はこれこれで]

「そうでしょう。もう手遅れかもしれないけど、まだ、方法があります」

[それはどんな方法ですか]

「この仏さんを拝みなさい」

ここで、残った10人のうち2人が残ります
ここでは、まだ金をとりません
このへんで、専門用語で言うポータルを作ります
つまり、信頼関係
拝み屋さんを、信じ込ませます
ちょっとしたことを言い当てたりします
前もって身辺調査をしとく、なんて単純な手口もあります

[拝んだけれど、なにも変わりません](当然です、なにもしてないんですから)

「あなたは信心が足りない。最後の手段だが、このありがたい御仏の掛け軸を買いなさい(100万円)」

これで、2人のうち、おかしな話に気がついた1人が抜けて、1人になります。100人てあたりしだいに声をかけて1人がカモになってくれるわけです


残った一人の人に対して
パターン1

[おっしゃるとおり掛け軸を買って拝みましたが、やっぱりダメです](当然です)

「私は最初から手遅れかもしれないと申し上げていた。これだけ拝んでだめなら、あの有名な高野山にいって100度参りをしなさい。それでだめなら、私の手にはおえぬ」

[ごていねいに、教えてくださって、ありがとうございます]

「おだいじに、さようなら」


パターン2

[掛け軸のおかげで好い方に向かってきた気がします](単なる偶然)

「そうでしょう。わたしの霊力がわかったでしょう」
「こんどお堂を建てるので、子孫の為に、功徳を積むつもりでもう100万円寄付しなさい」

「どんどこ、功徳を積みなさい」

「お金がないなら、親の名義の土地を売ればいいじゃないですか。悪因縁をため込んではいけません」

「信者になる人をつれてきなさい。すばらしい徳を積んで先祖が喜びます」

「信者のなかの序列があがれば、もっと特別に拝んであげます」

残った1人は、貧病争といった、いろいろな不幸をかかえた、気の小さい、人の善い人です
こういった人には、断定的で高圧的な言い方をすればするほど、効果があります


おわかりのように、なんの霊感もいりません
ほとんどの霊感商法はこういったかたちです

徹底的に脅かすのが特徴です

低級霊が憑いていて
拝みはじめたら目がまわる、ぞっとする、ぐったり疲れる、など危険を知らせる兆候も、ありがたい霊現象にしてしまいます

だれも知らないはずのことを言い当てる、なんてのは、低級霊でもやります

家族や知人が心配して猛反対するのも、悪霊の妨害だと言いくるめます

病気がますます悪化したり、性格が怒りっぽくなったり、疑り深くなったりするのも、好転現象てことにします

手の込んだことは必要ありません
ただ、

「あー、あなた、なんか悩み事があるでしょ」

と、声をかけてまわるだけです

信者に保険金かけて殺す、とか、1000万円の壺を買わせる、なんてことをしなくても、簡単に金にすることができます

いちどカモにしたら、生かさず殺さず、いつまでも絞りとれます

おかしな事に気がついて、離脱しようとしたら、低級霊がさわいで妨害します
高熱が出る、事故にあう、悪夢を見る、など

助けようとした人を、悪霊使いに仕立て上げます

フランチャイズチェーンでやってるとこもあるなー


すでにひっかかっている方
いい人生勉強をしたと思ってください
警察に相談すれば、半分くらいは金が返るかもしれません
僕に相談しても金は返らないですよ

自分を救うのは、最後は自分だと、覚悟を決めるしかないですよ
誰かをたよるのもいいけど、ほどほどにね


♪この手の拝み屋さんを開業すれば、確実に低級霊に憑依されますよ。絶対にしちゃだめです。♪

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ラベル:

2005-11-16

類友

僕みたいな者が改めて言う必要がないのですが
スピリチュアル系の方は、なんか外から教示を受けてなにかするとか、なにか結構スゴイ物が見えてどうとか、というのをどうも能力の一つの尺度にしてるような人が多い

ご自分の中にある深い善意からくる直感を、大事にしたほうがいいよ

なんか色々霊能者の本を読んだり、心霊現象の話に興じたりって、動機がね、興味本位とか、怖い物見たさとか、曖昧だと、やっぱ受け取る答えも曖昧なんです

「忘己利他」 伝教大師

そんな心がないと、せいぜいよくて遊び仲間みたいな霊とつながるよ
悪くすれば悪徳詐欺集団みたいな霊が仏さんや神さんに化けて出て、あなたと、あなたの大事な人達を苦しめるよ
いちどチャンネルができたら、抜け出すのは、まあ、やくざが足を洗うのと似たようなもので、とんでもないリンチにあうことになるよ

天使とか守護霊とかいろいろ言うけど、天界も霊界もピンキリなのよ
人間世界と一緒だって考えておけば間違いない

なになに宗とか言って、れっきとした看板出してても、とんでもないブラックな奴もいるからね
看板や肩書きじゃなくて中味なのよ
勉強して頭よくなっても、関係ないよ、中味だよ問題は

低級霊は使いやすいし、素人だますのは簡単だから、ちょっとした不思議現象で、なにかすっごく有難いことのように思いこますなんてことは、どこにでもあることですよ

パワーがでている感じなんかでも、後ろにいる霊が感じさせているなんてことがあるからね
たぶらかされている、ってやつだね

知らないで長いこと低級な奴らとつきあってたら、誠意とか真心がどんなものか、わけわかんなくなってくるよ
「掲示板あらし」みたいな霊に、めちゃくちゃにされるよ

あなたが生まれた時、涙をながして喜んでくれた、おじいちゃんやおばあちゃんみたいな暖かい霊とつながりたいなら、やっぱり暖かい素直な心にならないとね





わかってる人は、わかってるのよ

だけど、あんたはこうだ、と指摘してもすぐにどうなるものでもなくて
やはり、その人の心が変わらないとね、どうにもならいないから
特にマスコミなんかで有名になっちゃったり、周囲の人達に先生先生とおだてられたりしてたら、気持ちいいし、ひっこみもつかなくなるから、心を変えないよね

今、よくても、悪い方へだんだん堕落して変わることもよくあるからね

僕はよく思うんだけど
たとえば、正真正銘の神様がそこにいるとするでしょ
で、腹減ったから代わりにご飯食べといて、とか
眠くなったから、代わりに昼寝しといて
なんて、頼んでもしかたないよね、やっぱ、自分の事は自分でするのよ

神様、仏様がどんなに立派な存在であっても、結局は自分の心だからね

「暖かく思いやり深い心」を心がけていれば、いい霊が助けてくれるってことなんだよね 

♪不思議現象を見聞きするのは、テレビを見ているようなもんで、見ている自分がどうなのよってことですね♪

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2005-11-13

たまゆら

「オーブ」って、「たまゆら」とも言うらしいです


後光が光るi神の不思議満載!?+mokakamo絵本。

猫ちゃんのまわりにたくさんいる

シャスタ山での矢吹さんのコンサート
巨大たまゆらだったそうです

菊花状のたまゆら
たまゆら写真館
いろんな種類とか色とかあるらしい

菱形のたまゆら
鞍馬でも写ることがあるらしい

こんなのもあります
不思議な虹のカーテン
意味のわかる方教えてください
矢吹さんが撮影されました


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2005-11-10

愛染明王



愛染明王像  一幅  

長保寺蔵

絹本著色 縦90.1 横42.9
桃山(16世紀)
赤身一面三目六臂で、獅子冠を被り日輪を背に宝瓶の上に載る通形の愛染明王像である。密教においては五秘密菩薩の中尊・金剛薩捶の所変として広く信仰された。また、敬愛・調伏を祈る愛染明王法の本尊として、独尊の画像が描かれ、類例も多い。


赤く輝くのは、敬愛慈悲の深重のため
太陽の中に住するのは熾盛の勇健の菩提心を表すため

衆生の愛欲を、仏の法を求める愛着に変えるとされている
愛情、情欲の心がそのまま、仏法を敬い衆生を救う境地となる

愛のキューピットが弓矢を持ってるけど、このほとけさんも持ってますな

僕にはまだよくわからないけど、仏の境界には光も闇もなく、光だけになるのだろう
大慈悲の心があれば、欲望がそのまま、仏の境地であるという


大欲得清浄 大安楽富饒 
三界得自在 能作堅固利  金剛頂経 

大いなる欲が清浄をえたならば 大安楽にして富みさかえ
三界に自在をえて よく堅固なる利をなす



♪でも、なんで怖い顔すんの♪

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2005-11-09

太陽のイメージ

説明すると、また、わかりずらいことを長々と書くことになるんだけど

密教では、本尊をイメージするとき、ほとんどは月輪観といって、月のように球形の白いボールの中に本尊を観相する
まれに日輪つまり太陽の場合もある
愛染明王と金輪仏頂は太陽の中に観相する

実は、僕の寺の本尊は金輪仏頂なのです

見た目はお釈迦様で、お釈迦様として拝むこともできるのですが、仏像の配置が陀羅尼集経というお経の金輪仏頂像法に書かれたとうりの方法でまつられている

お釈迦様の左右に普賢菩薩と文殊菩薩がいて、それを四天王が囲んでいる
これは、よくある配置で、これだけなら、普通の三尊形式ということになるのだけれど、陀羅尼集経では、お釈迦様が座っている蓮の花の茎が法輪だと言うことになっていて、うちの場合、仏像が配置してある壇の腰に、特殊な法輪が飾られている(法輪はこのBlogの左肩でくるくるまわっている輪のことです。お釈迦様が法を説くのをたとえて、このようなシンボルが、インドで仏像が作り始められるより前から使われていました)
お経では、お釈迦様の頭上に飛天がいることになっているんだけど、見あたらない
よく探してみると、導師の座る頭上にある天蓋のなかに飛天が描かれていた

完璧に、金輪仏頂像法を理解して仏像を配置している

金輪は、つまり太陽のことです
仏頂は、仏様のあたまがポッコリとふくらんでいる部分のことで、一番尊いことの喩えです

日本密教では、普通に金輪といえば、天皇のことをさします
最も尊い太陽のような存在だからです

僕の寺は天皇の勅願寺ですから、非常にまれな金輪仏頂像法でお釈迦様をまつることが許されたのでしょう

真言密教では金剛界法、胎蔵法を両部といって、これしかないのですけど、天台密教はこのほかに蘇悉地といって仏頂法を拝みます

仏頂法は歴史的に分析すると、仏舎利の供養法です

これは、僕の仮説ですが
仏滅後、仏教徒はなにを中心に修業をしたらいいのか大変困ったと思います
それで、お釈迦様がいなくなっても、その残した舎利(つまり骨)を供養することにした
我々からすれば、お釈迦様が、本当に存在したということの物的証拠です

僕はインドで実物を見ました

蒸し暑い博物館の中で、仏舎利の回りだけ気持ちよくひんやりと冷たかったのを覚えています

で、この仏舎利がだんだんと神格化されていって、金輪になる
つまり太陽

密教では愛染明王意外の仏さんはみな月輪のなかに観相します
月、つまり、太陽に照らされて光る天体です

密教の作法で、真言を唱えるとき、必ず最後にこの金輪の真言を唱えなければなりません
唱えないと、いままで唱えたすべての真言の功徳が無くなるとされています
つまり、すべての真言は金輪の太陽に照らされて月のように輝くのです

金輪仏頂は威徳最尊と言われ、夜、天にどれほどたくさんの星があっても、太陽が出ればその輝きで見えなくなってしまうように、すべての仏菩薩の功徳を上回るほどの力があるとされています

阿弥陀如来も薬師如来も観音様もお地蔵様もお不動様も、お釈迦様意外の仏菩薩は皆、実際にいた歴史上の人物ではありません
架空の存在かもしれませんが、お釈迦様だけは骨を残した歴史上の存在です
仏教のリアリティーの最終的な根拠は仏舎利です
で、この仏舎利を神格化したのが金輪仏頂です


それで、おこがましいのですが
自分の寺の本尊ですから、僕はいつも、この金輪仏頂を拝んでいます
シンプルですが、非常に特殊な拝み方です

その一部が孫さんのイメージとよく似ているのです
巨大な太陽と暖かく感じるのが違うけど、これはまねることにします

僕は光の瞑想で、太陽をイメージすることを最近付け加えて書いたのですが、これは、普段いつもやっています
真夏の真昼の太陽もいいと思います
もっとも強い太陽のイメージです


それなりに、深い意味があるということです


苫米地さんの洗脳の本に、ホメオスタシスという概念があって、より強い自分自身のイメージを持っていないと、強力な洗脳に負けてしまうことが書いてありますが
地球に棲む人間としては、太陽より強いイメージはないですから、どのような強い洗脳や憑依霊もはねのける強さを身につけることもできるようになります

精神的に強くなるように、太陽を見ることをお薦めしていますが、実は、奥深い意味があったのですよ

気功とか生命エネルギーとか、色々とらえかたはあると思うのですが
太陽そのものではなくて
直感的に太陽のイメージをとらえて、そのイメージを瞑想に応用できるということですね


♪まだ、マスターは見えまへん ガックリ♪

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2005-11-08

絶対と相対

ミソとクソって言葉がある

ミソもクソもいっしょ
クソミソに言う
など

ミソは神聖なる味噌汁のもとであり
クソはばっちいダークサイド

てことになるのだが

ミソを役に立つ食品とし
クソをばっちいものと分ける、基準が必要になる

基準を決めるのは誰か
基準を決めるのは「神」である

というのが西欧的絶対主義

これが揺らいでくると

ミソとクソを比べてみれば、どっちがいいかわかる
という比較対照を経て結論をだす相対主義になる

ただし、相対主義は、各自勝手なことを言いだして収集つかなくなることがあって

あなたのミソは私のクソ 
私のミソはあなたのクソ 
となることもあり、孤独で憂鬱で混乱して、がっくり疲れることになる


西欧的絶対主義から神がいなくなると
ミソもクソも同じ事で
殺人、放火、なんでもやりたい放題って文明になる、らしい

敬虔なる信仰が揺らいできている現代では、結局、相対主義が幅をきかすことになる


西欧絶対主義とイスラム絶対主義の相克は大変なことになるだろなー


ほいでもって
ここでトラスピな視点をもちだすと

ミソは味噌汁にして有益に
クソは畑の肥やしで有益に

で、すべてに存在理由がある

正月神社へ初詣、お盆は寺へ墓参り、年末はクリスマス
なんの、問題もない

「一切諸法、仏法に有らざる無し」圓頓章

視点を自在に変えて、万物有意義なりと考える
というか、個人的な感覚を越えた世界から見れば
ミソはミソなり、クソはクソなりの存在理由がある

神話的コスモロジーが存在することで、宗教体験はたんに日常意識からの逸脱ではなく、もう一つの世界における正当な体験として人々に認知されることが可能になるのである。
宗教クライシス

どんな不思議体験も普通の体験も、解釈というか意味づけというか、宇宙観の中への位置づけ、つまりコスモロジーがあって初めて腑に落ちる

しかしながら
西欧的絶対主義が行き詰まり、相対主義もエゴのぶつかり合いで傷つき、どうしようもなくなっているのが現代ではないですか

学級崩壊、不登校など、純粋であるはずの子供の世界が深く傷ついている
それは、お互いを結びつける共通の価値観の喪失が原因の一つだろうと思いますね

みなさん、てんでんばらばら、勝って気まま、自己中、なのです

それを、絶対的な、誰もが認めるなにかの大きな権威があれば善い悪いを決めて、道筋がつくだろうが、結局ない

せいぜい、相対的な、私なりの価値観、あなたなりの価値観、てんでんばらばらの価値基準があるだけ

コスモロジーの喪失、ということ

で、トラスピに
なんにでも存在理由がある、ってことであれば
ミソもクソも意味があるんだから、ミソもクソも一緒、なのではなくて
ミソはミソなり、クソはクソなりに意味があるってことになる
ただし、勘違いしちゃいけません、ミソはどこまでもミソで、クソはやっぱりクソです

光も闇も一緒
じゃなくて

光には光の存在理由、闇には闇の存在理由がある

ってことです

光には意味があって有益で、闇はダークサイドだから嫌い、ってのは、そのとおりですけれど
いつまでも、そんな境地じゃ、輪廻転生・生死因果から抜け出せず、堂々巡りを続けることになる


光と闇を、ともに見つめる心はどんな心?

慈悲と智慧に満ちた心だと思いますよ


その心は三界の輪廻を越えたところにあるんです



♪わかってもらいたいなー♪


参考になりました
久しぶりに、示唆に富んでいて面白かった
仏教と精神分析 レグルス文庫
三枝 充悳 (著), 岸田 秀 (著)


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2005-11-07

心の波動

仏教は文字による経典の研究が盛んなため、どうしても左脳的な認識論がとっつきやすく、心のエネルギーとか感触とかの研究がおろそかになってきた
特に明治以降は、仏教研究といえば文献学のことで、それ以外は仏教学ではないってことになってしまった


最近はやりのヒーリングって概念は、説明するのに、どうしても心にエネルギーがあることを言わないと、現実に病気が治ることを説明できない

ベティ・シャインさんは「スピリチュアル・ヒーリング」で心のエネルギーって言ってるけど「スピリチュアル・ヒーリング2」では心の波動って表現になってる
波動って言葉のほうが、色々説明するのにしっくりくるって感じになっていったのでしょうね

その波動ですが
弘法大師に「声字実相義 しょうじじっそうぎ」という著作があるのですけど、難解で知らない人が多いと思う

「世界のすべては、意味のある響きでできている」ということが書いてあります

もとの論文が難解なので、簡単に説明することなど出来ないのですが、おおざっぱに説明すると

弘法大師は大日経などの密教経典を根拠にして、果分可説といって、悟りの世界を言語で説明できるという立場をとっています
これに対し、普通の仏教徒の立場は、果分不可説といって、悟りの世界は言葉では説明できないという立場です
言葉というのは、英語もあれば中国語もありサンスクリット語もあり日本語もありで、これが長い歴史のなかで変化していっています
一つのことを言うのも、内容がちょっとづつ違うかもしれないし、暑いとか寒いと言っても、当然のことながら、暑さそのもの、寒さそのものでもありません
つまり、言葉は真実を説明しようとはするのですが、どこまでも真実そのものにはなりません

それを、弘法大師は真言は真実そのものを説く、と言って、「法身は説法」するとしています
宇宙そのものが語る言葉が真言だとしています

五大にみな響きあり
十界に言語を具す
六塵ことごとく文字なり
法身はこれ実相なり  弘法大師


地水火風空の世界の構成要素はみな波動をもっている
仏、菩薩、縁覚、声聞、天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の世界すべては、意味のある波動をもっている
眼耳鼻舌身意で感じる事すべてが、世界そのものが直接語った言葉である
その言葉を語りかけてくる存在が真実そのものである

地水火風空というのは、お墓などにある五輪搭で表されたりしますけれど、物理学で言うところの原子とか中性子とかにあたる、世界の根本的な構成要素のことを密教的に言ったものです
それが、響き、つまり波動だと

波動なんですが、言語になっている、つまり意味のある波動である
仏も神様も人間も動物も霊魂も波動ということ

で、それを感覚器官で感じるってことは、意味有る波動を、色とか音とかで感じていて、つまり色や音は文字に相当する

世界そのものが語りかけてきている


と言う意味になるかな

弘法大師の場合は、真言つまりマントラを唱えるとき、それは仏が語りかけるときに使う言葉を唱えているんだという点を強調する為に、こういうことを書いたわけですが、今風に解釈すれば、「世界のすべてを振動で説明できる」ということにもなる

ただ、単なる波動ではなくて、「意味のある波動」というところがミソでしょうね

新義真言宗の興教大師は、この「意味のある波動」を生み出す根元が別にある、と主張して、高野山を追い出されました
弘法大師は「意味のある波動」そのものが根元だとしています

僕的には興教大師説かな

今では高野山に興教大師のいたお寺が再建されて、密厳院というのですけど、高野山時代の僕は、密厳院の弟子です


ということで、わかりにくい説明で恐縮ですが

心も物質も、あなたも私も、おんなじ「意味のある波動」だということです
つまりそれが「声」で、感覚器官で感じれば「字」です

そんでもって「声字」は実相だと

だから、拝んで病気が治るし、手術でも薬でも病気は治る
手かざしだろうが遠隔だろうが、波動はつながる、ということで説明がつくってことです

「声」つまり「意味のある波動」は各人の感覚器官の内側にはなくて、感じられる前の「存在そのもの」ということになります
感じとられた「字」は各人の中にあって、相対的であり、幻想でもあります

「意味のある波動」は各人各様の我執からはなれて存在し、見る前の色、聞こえる前の音、感じられる前の感触です

つまり「意味のある波動」は時間も空間もない、悟りの世界そのものです


♪やっぱ、わかりにくいなー♪

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2005-11-05

感謝

実は僕の本職のほうのホームページは一日500人以上の人が見ています
多い時で700人以上、500人以下の時はめったにありません

それが、TerraFreeTalkを始めてから、その3分の1位の人が、Blogを見てくれるようになりました
読みにくい文章を、面白がって読んでいただいて、ありがとうございます

仕事上の立場をしばし忘れて、書きたいように書いているのは気分いいものです



さて
今回、稚児行列は3時出発の予定だったんです

朝起きたら晴天だった
それが、急に雲が出て、昼から雨が降り出して、だんだん雨足が強くなってきた

行列がどうなるか、問い合わせの電話がジャンジャンかかってきた

それでも僕は全然不安がなかった
どうにかなるような気がしていました

そしたら、行列の出発する3時ちょうどに雨がピタッと止んだんです

400人以上の着飾った人が集まってたんだから、皆、喜びましたよ

行事が終わる頃には、また晴天になった


なんか、皆様からパワーをいただいたような気がするんですよ

ありがとうございました


♪あの雨はなんだったんだろう♪

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