2006-11-29

猫は風邪をひかない

うちでは、風邪気味のときは、ビタミンCの原末をジュースに溶かして、5gくらい飲みます
これを、調子が戻るまで続けます

ビタミンCの粉を、スプーン1杯ジュースに溶かして飲みます
ビタミンCそのものは、ものすごく酸っぱくてそのままでは飲みずらいからです

ビタミンC原末 こちら
錠剤もありますが高価ですから使いません

薬は、葛根湯とかの漢方薬ですね、使うとしたら


蛋白質の修復にビタミンCが必要だとされています、免疫作用とかにも必要です
怪我や火傷をしたときも、服用すると、傷が早く綺麗に治ります
お試しください(^^)

ビタミンCが美肌作用があるのは、タンパク質の修復に役立つからです

大量のビタミンC摂取は、下痢になる場合があります
体調が悪いほど、大量のビタミンCでも下痢しません
つまり、体調が悪いほど、ビタミンCが体内で必要になるからです

風邪の時は10g位のビタミンCでも下痢しません


チー

犬や猫は風邪をひきませんが、それは、体内でビタミンCを作れるからです
体内でビタミンCを作れないのは、人間とモルモットだけです
それで、医学の実験動物にモルモットを使います
人間に似ているからです

犬や猫は体内でビタミンCを作ることができますから、肉だけ食べていても偏食になりません
犬猫は、怪我をした場合は、必要なだけのビタミンCを体内で作ります
ウィルスに対する抵抗も、体内でビタミンCを作るため、人間よりもあります

人間は、体外から食事を通して摂取しなければなりません
あと、人間は必須アミノ酸の一部も外部から摂取する必要があります

人間の場合、必要な栄養を外部から摂取するという、いわば、機能的な欠陥がある代わり、長寿になったと言われています


こういう知識を、分子栄養学っていうんです
こちら

ラベル:

2006-11-28

教育問題

先日、西条石鎚ライオンズクラブと下津ライオンズクラブの皆さんに、長保寺の藩主墓所の清掃をしていたたきました

くわしくは、こちら

西条石鎚ライオンズクラブは、色々な奉仕活動をしているのですが、「夜回り先生」こと水谷修先生と「ヤンキー先生」こと 義家弘介先生の講演会も開催しています

くわしくは、こちら

普通のおっさん達の、かっこいい奉仕活動です


ちなみに僕も下津ライオンズクラブの会員です
クラブのホームページを作るように再三言われてますが、作っていません(^^;)
クラブの会員でホームページを見る人が一人もいないからです(^^;)

ラベル:

2006-11-27

宇宙じゃ常識だぜ

世界の全ては「変化し続ける心」によって出来ている
感性と理性  Terra Free Talk


物と心を分けて考える二元論だからわからなくなるんじゃないの

電子や光は粒子であって波動であるんですが、観察されるまでは、波動なんです
観察すると粒子として認識される

だから、波が伝わるのは、心の中なんですよ
観察が粒子を創造してるんです

分かりにくく言えば、この世は霊界の一部なんです

Quantum Sense理論がわからんと宇宙はわからんよ









いくらでもあるよ
こちら

ラベル:

2006-11-26

量子論の本

Quantum Sense理論ですけど
まだ、こだわってます(^^;)

なんのことか、わかりにくいし、ま、興味もあまりないかとは思いますが
ロジックてのは、そもそもそんなもんです
ですけど、ロジックがあれば、一歩一歩進むことができるようになります
修正すべき間違いも、探求すべき問題もはっきりすることができます


で、参考文献などのご紹介をしときます
詳しくはこちら



「量子論」を楽しむ本 佐藤勝彦 PHP文庫

入門書です
量子論はそもそもわかりにくいです
で、一番わかりやすい入門書でしょうね


Newton別冊 みるみる理解できる量子論 ニュートンムック 監修和田純夫
図解で解説した量子論です
簡単に説明しようとしすぎて、わかりにくくなる、と言う典型的な例です
しかし、絵はきれいですので、時々見るのにいいかも


「量子論」を楽しむ本、を一読してから、僕のQuantum Sense理論を読むと、少しは何を言っているかわかります

で、それから



死後の世界を突きとめた量子力学 コンノケンイチ 徳間書店
なんか、すごい題名ですけど、内容は、もっとも高度です
僕の理論と一番近い内容と言ってもよい

第1章 意識が現実を創造する
第2章 死後の世界とクロスする量子力学
第3章 死後の世界はこうして実在している
第4章 量子力学の反乱 科学の自然解釈は大変貌
第5章 現代物理の死角はアインシュタインにあり
第6章 宇宙の正体はホログラム 光と闇の迷宮
第7章 とぐろを巻いた蛇と黄泉の国への旅


ただ、いきなり読んでも、なにを言ってるかわかりません
題名に惑わされないように
僕のQuantum Sense理論を読んでからこの本を読んだら、言っていることが少しはわかるかも

で、内容について言うと、この人はエーテルを再評価するって立場ですけど
僕的には、エーテルって、つまり、意識です、ここがちょっと著者と違います


コンノケンイチさんは、他にも本を書いてますが、読んでみたいですね
文章の書き方が大げさな感じもしますが、編集者にそそのかされたんでしょう
内容は、僕的には、まったくまともです
非常にロジカルです

どうかと思う部分もありますが、霊能者本や精神世界の本のなかで比べれば、推薦することのできる内容です

EPRパラドックスの崩壊が、大変な事件だったのが分かります
物理学からいうと、アインシュタインの否定ですから、ホーキング宇宙も成り立たなくなり、ビックバンもでたらめになってしまいます
で、それに変わる概念も提示してますが、その部分は、どんなもんでしょう、という感じですが、前半は、まともです

別に読まなくてもいいです(^^;)
僕のQuantum Sense理論で十分ですから

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2006-11-25

いじめを乗り越えるヒプノ

前世療法のヒプノをなさっている奥山先生が、いじめを乗り越えるヒプノを公開されています

ご関心のあるかたはどうぞ


「あなたが受けているいじめを乗り越えて、あなたが絶対に幸せになれるおやすみヒプノ」を創りました。
「愛のスピリチュアリストたち」運動の一環です。
この音声ファイル等につきましては、無償でコピー・リンク等々していただけます。
下記のアドレスからどうぞ。
こちら


Podcastもできました。iTuneをお使いの方はこちらからどうぞ。
こちら

スピリチュアルな風に吹かれて




ヒプノセラピーは効果があることはすでに立証されていると言ってよいと思います
奥山先生は、世界最先端の療法ができる数少ない方です


問題が無いわけではありません
健康保険が効かないんです

セラピー自体は2時間程度は必要とされていますが、これを、医療機関としての水準の体制を整えた医院でするとなると、料金が普通の診療より高額になります

精神科の免許を持った先生がセラピーをするのが理想ですが、まだ、日本の医療では自己負担の大きな特殊な高額医療にならざるをえません


幸いに、歴史が浅いせいか、得体の知れない拝み屋的な、ヒプノセラピーをする人は、まだ顕在化していません
免許制度じゃないですから、野放しにすれば、ワヤクソになるのは時間の問題だと思いますが(^^;)

施術者を支配したり、依存させるような暗示を与える人は要注意ですよ
支配し依存させるのは、拝み屋の基本テクニックです

ラベル:

2006-11-24

猫語

うちに猫が二匹います

白がチーで、黒がクーです
二匹とも、捨て猫だったのを拾って育てています

チーは、目が完全に開かず手のひら位の小ささの時、大門の横に捨てられていたのを次男が拾ってきました
スポイトでお乳をあげたのですが、猫用のミルクじゃなかったので、お腹をこわして、今でも胃腸が弱く、食べたものを吐いたりします
小さいとき捨てられて猫と暮らしたことがなく、子猫の時から人といっしょの生活ですから、たぶん、自分を人間と思っているんじゃないでしょうか
クーが来るまで、ニャーと鳴くことを知りませんでした
生まれてすぐ捨てられたので、猫の仲間の鳴き方を知らなかったんじゃないかと思います

クーは、チーが来てから1年くらいしてから、子猫のとき、中学校にまぎれこんできたのを、長男が拾ってきました
野良猫生活をしていましたから、今でもなんとなく、人間を恐れています


二匹とも、寒くなってくると、寝ている布団の中に潜り込んできたり、足元の布団の上で寝たりします

やってくるのは、夜こちらが寝るときいっしょに寝たり、朝方の寒くなってきた時などです

朝方、寝室に入ってくるときは、(猫が通れるように障子が一升開けてあります)ニャーって、甘えた声で泣きながら入ってきます



さて
少し前、僕は誘導瞑想に凝って、自分でいろんなアファメーションなんかを録音してテープを聴きながら瞑想したり、いろいろなやり方をためしてみた時期があります

瞑想の実験ですかね

アファメーションの文章を三回読んでから目をつぶってリラックスする方法がめんどくさくなくて性に合うような気がしました

たとえば


ワン ツー スリーで 深く息を吐き 肩の力を抜くと すぐに 私は深くリラックスして 深い深い瞑想に入る・・・
深い瞑想に入るのは 簡単だ・・・瞑想するのは とても気持ちがいい・・・

深く 深く 瞑想に入る 心の奥底に どんどん 入っていく・・・・体の感覚が スーっと 気持ちよく 溶けていく・・・長いこと瞑想してもあっという間のことに感じられる・・・集中力がとても強くなって 心に念じたイメージを ハッキリと 感じることができる・・・心の全てが 法界の大慈悲に繋がって 全ての事が順調にうまくいくのが分かる・・・瞑想の神秘的な扉を どんどん開けていくことができる・・・自由に心の中を動き回れるので とても気持ちがいい・・・天眼 天耳 他心 宿命 神足 漏尽の 不思議な六神通の力が どんどん強くなって とても 幸せな気分だ・・・私の中から湧いてくる力で 人助けが出来るので とても嬉しい・・・

私が今語った 全ての言葉と意味が 私の潜在意識に とても良い影響を 及ぼし続ける・・・これらの言葉と意味の全てが 今や 私の人生の 現実に なりつつある・・・

今後 私が「深く」と心に念じ ワン ツー スリーで深く息を吐いたら 私が今語った 暗示の中にある あらゆる言葉と意味が 蘇ってくる・・・瞑想に入っている間ずっと 私が今語った 暗示の中にある あらゆる言葉と意味が 私の 潜在意識を 変え続ける・・・瞑想が終わって ワン ツー スリーで 左の手をちょっと動かすと 私は とても穏やかに スッキリと 気持ちよく 眼を覚ます・・・
眼を覚ましても 潜在意識の変化が 持続し続ける・・・


と、まあ、こんな感じ



そんなことを続けているある日

明け方、クーが寝室に入ってきました

「おかあさーん、おかあさーん」って呼んでるんですよ

はっきりわかりました

見ると、やっぱりクーです

甘えて鳴いているときは、母親を捜しているんですね
捨て猫だったから、飼い主が母親なんでしょう

そのころ、ちょうど勤行で法華経の「法華経を読誦していると修行しなくても神通で動物の声をききわける」という意味のところを読んでいたので、ああ、これか、と思いました

瞑想の実験の成果か、法華経の力かわかりませんけど、あれからもう、そういうことはないですね

つまり、俗物に後戻りしました(^^;)

ラベル:

2006-11-23

カルマ

業とか因果応報って仏教が作った概念ですけど、今風にはカルマってことでスピ系でもよく使われるようになった
キリスト教とかイスラムなんかは、宇宙を作ったのも、人生で困難にであうのも神の意志だそうで、カルマは言わないんだよね

カルマの語源は、サンスクリット語で、「行為」という意味で、よい「行為」にはよい結果、悪い「行為」には悪い結果がある、という使われ方をしてきた

これが、前世のカルマが、今の人生に影響を与えるというのは、つまり、一つの理論的立場であって、実際どうかというと、はっきり決着がついた問題でもないと思うよ

これは、僕はQuantum Sense理論で言ってるんだけど、つまり、心は自由なわけ

どんなに現実に縛られていても、心だけはなんの制約も受けずに自由に妄想なり空想なり理想なりを追求できるんです
たとえば、授業中にぼんやりと昨日のテレビ番組のことを考える、なんてのは、普通のことでしょう

それで、行為の前には「何をしようか」という意志の決定プロセスがあるわけですから
カルマ--->心--->カルマ
という連鎖なのであって、いきなり、「悪いカルマ」の次が「悪い結果」に直結してるわじゃないのよ

で、「心」がですね、もっていきかたで救いにもなるし、もっと悪化させることにもなると


法華経 平安後期(12世紀)長保寺蔵

よく、障害をもって生まれるのは、高度な魂が選択したって、まあ、僕に言わせれば作り話をする人もあるようです
しかし、全くの偶然でそうなることのほうが多いんじゃないかと考えてます、僕は
そして、大きな愛を、自分も、周囲の人達も持たなければ、乗り越えていけないのではないですか

なんで、なんでもかんでも、前世のカルマや、計画やらのせいにしたがるんだろうね

偶発的な事件など、いくらでもあるんじゃないの

ただし、前世の影響、あるいは計画が無い、と言ってるんじゃありません
なんでもかんでも、単純に考えるなと言ってるんです

「自由」というものが存在する、と考えるならば、偶発的な事件がいくらでも起こり得るってことでいいんじゃないですか


機械的因果応報理論、はですね、不確定性理論で、物理学的にも否定されていることだと思うよ


いろいろ先回りして取り越し苦労する人のために付け加えときますが

とんでもない悪いこと---->反省のチャンス----->結果

なのであって、お目こぼしやら、いつの間にかウヤムヤになるってことじゃないと思うよ
反省がなければ、ストレートに悪い結果だと思うよ

それと
なんの原因か分からず、いきなり、善いこと、悪いこと、が起こる理不尽なのが人生ではないですかね
何故だと言うから、適当な理由を作り出したりするんでしょう
前世の業とか、計画とか、誰かの意志とか
神話的物語を創作して現在の状況を合理化するのだけど、もともと、不合理なんですよ



仏教の寓話にありますが

矢にあたって苦しんでいる人が、どうしてもどこから矢が飛んできたか知りたいと思っている
誰が何故、矢を放ったのか知るまでは、ささった矢を抜きたくないと言う
それを、とにかく矢を抜くのが先で、何故、どこから、誰がなど、考えていたら死んでしまうぞ
というのが、仏様の教えです

ラベル:

2006-11-19

いじめ

いじめ、昔からあるなー

中野・富士見中の事件のときはまだ東京にいるころだった
近所だったんで、印象が残っています

事件については、こちら

親御さんの「二度とこんな事件を起こさないようにして欲しい」というコメントは、このころからだったと思う

僕の母親は小学校の教師だったけど、幸いなことに、母親の教師時代は、いじめは今のように陰惨じゃなかった
ドラエモンのジャイアンみたいな、憎めない人間関係の範囲にあった

どうも30年くらい前からみたいだね
いじめが死に直結するようになったのは

こちら

僕的には、文部省も、各地の教育委員会も、学校も、現場の教師も、いじめ問題について、まったく無為無策でずーっと知らんぷりをしてきていると思ってますよ

中野・富士見中の事件は、いじめが死の原因であると裁判で決着したが、8年かかったんですよ、判決が出るまで

裁判では「証人として校長、教頭、担任、養護教員も出廷し、いじめの存在とその緊迫感を否定した。」
みんなで、すっとぼけやがった
死人に口なし、だわな
僕は、うちの子には、死んだら悪者にされて、みんなすっとぼけるから、バカバカしいので死ぬのは損だ、と教えてますけど、なにか

ご両親は納得しないで、いじめと認定されるまで、8年ですよ、法廷で争った
それが20年前ですよ

今も、なにも、変わってません(怒、怒、怒)

こう言うと、「いやそんなことはない」と、偉そうにご説明なさる人がいますが、じゃ、いじめられて死ぬ子がいるのは、なぜ?

校長や現場の教師が問題を矮小化し、隠蔽するのは、これからも続きます
自信を持って断言するよ
教育委員会ぐるみの不法行為なども、いくらでも続くぞ
これも、断言しとく
つまり、反省してないからね


あーあ
スピリチュアルもいいけどさ

御利益探しより、愛を表現してね
不思議話に陶酔するのも、そこそこ切り上げて、弱い人の立場で考えるようにしようね

自分の手の届く範囲くらいは、愛のある世界にしようよ


よけいな話ですが

横文字系のアセンションだとか、なんとかの予言とか、パワースポットがどうたらとか、霊界がどうだとか、馬鹿じゃねーのって思うよ
不思議話にはまる人は、自分が愛されることにしか感心のない人が多いんだよ

カルマとか、前世のなんとかとか、この世の学びとか、一件落着してからやってくれ

坊主をけなすのは勝手だけど、宗教を一口で否定するのはどうかと思うぞ
人が人を愛し続けることが、どんなに困難で、崇高なことかよくわかってからにしろよな

雲竜図 江戸時代 徳川治宝


そう言えば

核武装ですけど

反撃されないとわかれば、攻撃される、って理論らしいね
広島、長崎に原爆を落とされたのは、日本が核で反撃できないから
イランが、イラクに毒ガス攻撃されたのは、イランが毒ガスを持っていなかったから、というのが軍事常識ですよ

だから、相互確証破壊戦略で、核攻撃には核攻撃で反撃する、だから攻撃するなと
恐るべきことに、この理論で平和を維持するのは、今のところ大変にうまくいっている

アメリカとロシアは10000発、中国は400発、核弾頭を持っているから、北朝鮮の核武装は怖くないんだよ

日本の戦略は、核の傘をアメリカに貸してもらって、核攻撃されたらアメリカに核で反撃してもらうって戦略だとさ
実は日本が経済で高度成長できたのは、核武装やら軍事のコストをアメリカになすりつけてきたからなんだと思うよ

ま、反撃できないやつを、とことんいじめ抜く、これ世界の常識ってことでしょうな
暴力をくい止めるのは、反撃能力ってのが世界の常識なんだよ
悪いけど、愛、じゃないよ
勘違いするなよ



いじめられて反撃できない弱い子を、教師が知らんぷり、いじめの存在をシラン、それで済ませられる世の中ですからね
そして、いくらいじめても、おとがめ無しの悪ガキどもを、子供だからとかばってくれる、愛と平和の大人達はいくらもいる
「日本じゃ年間3万人自殺してるんだ、いまさらがたがた騒ぐな」ってことかい

死んじゃうよ、弱い子は(最近は弱くなくてもターゲットになるらしいが)
とりあえずは、悪ガキに反撃できる力を持った誰かが守らなければなりません
教師にその能力がないなら警察だろうね
いや、僕に拳銃と手錠貸してくれるならやるかもしれんけど

なぜ、守るのかって

愛だよ、愛
愛がすべてさ


教育的指導にこだわる人達の努力には敬意を表しますよ
だけどね、ここまで勢いのついた死の連鎖を止められるのかい
そんな、高度なというか、当たり前の能力のある教師がいないから、いじめで人が死ぬんだよ
わかってんのか

ラベル:

2006-11-16

木村知事

逮捕された木村良樹和歌山県知事について

「和歌山の建築業界の暗部が表沙汰になった」という人もいるようですが、違いますよ
黒幕の井山さんも木村さんも大阪人ですからね

逮捕も大阪府警です

和歌山の業者は、木村さんの作った世界で仕事するしかないんですよ
2回目の選挙のときは地元の不満が鬱積して、木村さんはすんなり自民党の推薦がもらえなかった位です

自殺した元出納長の中西さんとは、彼が和歌山県の東京事務所長の時からの知り合いです
この人は地元ゼネコンに天下って、談合の元締めだとだれもが知っていました
たいへん温厚な紳士で、まったく俗物じゃないです
男にも女にも、もてた
自分がどれくらい悪いことをしているか、よくわかってやっていたんでしょうね
衝動的な自殺だったと思うよ
生きていて欲しかった
彼が自殺したんで、ほっとした人も多いでしょう

木村さん、一度うちにきて、僕が境内を案内したというんだけど、これ、全然記憶に無いんですよね
なんか、秘書課の人が言っているらしいから、そうなんでしょう
僕、よく案内したの忘れるから

長保寺大門(国宝) 仁王像 阿形(県指定 弘安9(1286)年)

そうそう、2回目の選挙の時、木村さん、うちの駐車場で演説したんですよ
自民党で動員かけて、僕も駐車場まで出て聞きにいった
そしたら、木村さん、寺の大門の前にある駐車場で
「この寺は、拝観料をとるから参拝しません」
と言いました

べつに来たくなければ来なくていいけど、わざわざマイクとって言うことはない(怒!!)
このへんの感覚が、「よそから落下傘降下した知事」と言われるところでしょうな

もちろん、彼には投票しませんでした

今回のことで、和歌山県を何回も新聞の一面トップにしていただいたのは、大変な功績で、ありがたいですが(ラムズフェルド辞任や教育基本法改正より扱いが大きいのにはびっくりしたよ)
うちに逆らったら怖いことになるという、いい見本でしょうな
(半分冗談で、半分本気)

よけいなことを、もう一つ
木村良樹という名前
姓名判断でいうと、あんまりよくないのよね

僕は、名前で人を判断するのに乗り気じゃないんで、あまり見ないんだけど
今回見てみると
○○と縁が薄い、××が浮沈極まりない、など、典型的ですな
○○と縁が薄いのは、この画数があると、ほとんどそうだと言ってよいです
××が浮沈極まりないのは、議員さんによくあるタイプ

○○と××は、木村さんを見ればわかるかもよ

運命を変えるチャンスも与えられたとは思うけど、転けたんですね

ラベル:

2006-11-15

修理中の仏像の眷属

ある仏師さんから、お孫さんのことで相談されたことがあります

仕事場に孫が遊びにくると、最近とても怖がるようになった
いままでこんなことは無かった
修理中の仏像を見ると、とても怖がる

ということでした

どうも、得体の知れない眷属が付いてきたらしいと思いました


仏さんや神様自体は、べつだん怖いってもんじゃありませんが、付き従っている眷属は、千差万別、とんでもないのもいますから

案外、この眷属が働いているのを自分の霊能力と勘違いしてる坊さんも多い

拝み屋さんなど、低級霊の方をありがたがる傾向がありますね
手っ取り早く結果が見えますし、不思議な現象を起こしやすいですから

もう、仏さん拝まないで、眷属さんだけ拝む
キツネに油揚げ、ヘビに卵、などお供えして、欲望丸出しで拝むのなど典型的な例です

で、仏像を据えて拝んでいても、実際は働いてるのは眷属だけ、といったことになる

仏師さんは、あちこちから修理を頼まれますから、わけのわからん拝みかたをしてる仏像もあるんでしょう
そんな仏像を修理してると、仏師さんの仕事場にも眷属がやってきて、感受性の強い子などが怖がるようになったりします
案外、当の本人の仏師さんはなんともなかったりします
これは、仏さんが守っているからだと思います
仕事場までは守ってくれないみたいだけど、だれかに相談しようという気にさせるんでしょうね


仏壇屋さんが修理たのまれて写真とったら白ヘビが写ってた、なんてのもあった
そういう写真は焼き捨てるのがセオリーです



さて
相談してきた仏師さん、なんとかならないかと言う
それで、いろいろ話をしてたら、僕の声が、話をしていて部屋中に響くように聞こえてきた(自分だけ感じます)
なんか、こういう時は加持されている感じになるんで、ああ、これはうまくいくって感じます

それで、仏師さんの仕事場の近くに立派な神社があったので、お参りして助けて貰うように頼むことと、うちのお札を仕事場の一番高いところに奉るようにお願いしました

しばらく、なにも言ってこなかった

久しぶりに会ったら
「霊験あらたかで、孫が怖がらなくなった」
ということでした

こちらが恐縮するくらい、すごく有り難がってくれた

建築屋さんなんかも、解体工事とかするときは、近くの神社にお参りしといたほうがいいね

ラベル:

2006-11-14

願い事帖

本堂の前に、「願い事帖」として、願い事とお名前を書いていただく帳面をおいてあり、参拝された人は自由に御自分の願い事を書くことができるようにしてあります

それを、勤行の時読み上げて祈願と供養をします

以前は護摩木がおいてあったのですが、護摩を焚かずに貯まってくると、どうしようもなく体がだるくなってきてしょうがないので、これでは身がもたないと思い、やりかたを変えました

いろんな願い事があります


家内安全、身体健全が80%以上でしょうか
以外と交通安全はないですね

お金持ちになれますように、とか、良縁祈願とかいろいろです

いままでで一番微笑ましかったのは「とうちゃんがながいきしますように」


それがですね、ある時、「死ね」「みんな死ね」などと書かれている日が続きました



ある日、誰が書いているのか分かりました

ぶつぶつ独り言をいいながらお参りにくる女の人でした
恐らく統合失調症でしょう

憑依されているのだろうと思いました


僕は伽藍の阿弥陀堂の裏手にある施餓鬼のため建立した石の搭婆のところで、その女の人に憑いている霊のために供養しました
憑依するような霊は、徳がないのでお堂のなかで供養すると入ってこれなくて通じないことがあるからです
念入りにお供えをして、ちょっと長目にお経を読んだだけなんですけど
肩が差し込むように痛くなりました

ふと見ると、その女の人がお参りにきてるじゃありませんか
僕がお経を読んでいるのを、遠くから見ていました
目が合ったような気がしました

「ああ、通じたようだ」と感じました


その女の人は、それから、もうお参りに来ません

「願い事帖」に「みんな死ね」などと書かれる事はなくなりました

ラベル:

2006-11-13

霊の話

ちょっと霊のことでも書こうかと思って、とりあえず手始めに、ロシア兵の霊に銃剣で突き刺された話と、病院から連れてきた包帯でぐるぐる巻の霊の話を書いてみたんです

でも、このBlogで公開するのはやめました

怖がらせることになるし、ぱっと読んだだけだと誤解されるだろうと思ったからです

霊って、助けを求めて出てくるのかというとそうでもなくて、なにかの拍子に繋がっちゃうと出てくるんです
で、向こうには向こうの都合があるから、なにを考えているのか理解できるとは限りません

もう30年、霊の供養なることをしてますが、こうすればこうなる、みたいなもんじゃありません
全て、ケースバイケースです

ある種の霊に通用しても、他の霊には全然通用しない逆効果になることもよくあることです

で、当たり障りのない供養ということなら、伝統宗教のやってるようなことになります

まあ、人間関係と同じことです
画一的にはいきません

閻魔天 長保寺蔵 桃山時代


それで
神様とか天使とか神僧とかも霊かというと、これが、全然違うんですよね
祝福されていると言うか、性根が入っていて、愛が伝わってくる

まあ、冷たい感じの、嘘臭い神様は時々あるかな
なりすましで、化けてるのもけっこう多いよ


これが、いわゆる幽霊さんは無いんです
なんか、グワーっと怒ってたり、ギトーっと脅かしたり、ウギャーって苦しんでたり
心が叫んでいて、平静じゃない

僕は、仕事ですから徳川家の供養もしますけど、幽霊で出てくる奴らには、ほとほと、愛想が尽きますね、ハッキリ言って

いつでもニコニコと応対するわけにはいかんですね

とゆうことで、ネガティブな話になりそうなので、霊の話はなるべくしないでおくことにします

2006-11-06

スピリチュアルペイン

スピリチュアルペインとは、死に臨んで、存在の全てを失う苦痛のこと

伝統宗教は、真正面から、このスピリチュアルペインと向き合い、地道な活動を続けています

当麻曼荼羅図 長保寺蔵
極楽世界の様子が描かれているとされている


スピリチュアルという言葉自体は、心霊主義とも翻訳され、これを専門的には実在論的心霊主義といいます(実体として霊魂が存在するという立場)

心霊学とでもいいましょうか、これはこれで膨大な経験と研究が積み重ねられていますが、宗教じゃありません

この霊魂が「存在する」というのはですね、実は伝統宗教ではさほど重視されません
まあ、感じる人と感じない人がいる、ということと、感じたとしても個人差があるということ、人によって全く違う印象をあたえることがあることなどが理由かなと思いますが、じつは、もっと本質的な理由があります

霊魂とつき合う、というか、話をしたり、コミュニケーションを図るということ自体と、宗教が求めていることとが違うからです
なんと言いますか、宗教が問題にしてるのは、誰とつき合うかじゃなくて、どのようにつき合うかです


スピリチュアルペインの解決策として、よくあるのは、霊魂は不滅であると言い、宗教を信じた人に死後の安楽な生活を信じてもらう努力をするのですが、これは、僕に言わせれば、洗脳ですよ
見えない、感じない人に、信じさせたりするのですから、実在的心霊主義は、自分勝手な空想物語を捏造する危険をもっています
つまり、作り話ね

スピリチュアルペインは、存在が全て失われることによって生じるのですから、失われないんだ、あるいは、一部残るんだという物語にすり替えるわけです

でまあ、ほんとのところ、死んだらどうなるかは、死んでみなければわかりません
ある人においてそうだとしても、自分がどうなるかは別問題です

それでですね、伝統宗教では、死後の生という霊魂の実在に依存する考えかたでなく、意味の普遍性というか、永続性を強調する考え方が重視されます
「誰とつき合うかじゃなくて、どのようにつき合うか」です
「どのように」という、意味がですね、生死を越えた普遍的な価値をもっていることを強調します

お釈迦様とかイエス様とかは、ほんとに、霊魂がどうしたとかいった話は、あんまりしないんですよ
伝教大師も弘法大師もそうです

はっきり言って、霊魂の世界にも、愛憎や突いたり引いたりがあるから、終の棲家じゃないんです
だから、霊魂にも信仰が必要です
まあ、それもあるけど、伝統宗教は、まっしぐらに、普遍的意味とはなにか、生死を越えた価値とはなにか、という問題に向き合います
霊魂にも、ろくでもない奴とか、苦しみもがいてる奴とかが多いからね、「霊魂として存在しつづけるからご安心を」とは簡単に言えないんですよ


霊魂が存在しようがしまいが、死によって存在の全てが失われる恐怖、スピリチュアルペインはあります
だから、霊魂が存在しようがしまいが成立する、救いが必要です

それが、普遍的意味、生死を越えた価値、です
言葉で言うなら、神聖なる価値です

「次元の違う感触」です

仏教では、それを、大慈悲といいます

わかってしまえば、簡単なことです

自分が、永遠の価値のなかにいる実感があれば、大慈悲とともにいる実感があれば、生死はさほど気にならなくなります

よく霊能力の強い人のなかに、修行は必要ないという人がいますが、肉体的鍛錬という意味ではそうかもしれないけど、信仰や祈りは必要ですよ
結局、自分の存在以上の存在、生死や霊界を越えた、存在以上の存在にコンタクトする必要があるんですから

2006-11-04

霊性と聖性 スピリチュアルとはなにか

昨日、高野山大学から最新の密教学会報が送られてきました

僕は、いちおう大学卒業してからずっと密教学会の会員なのですけど、その巻頭言を世話になった先輩が書いてるじゃありませんか
今はもう教授ですけど、さぼってたサンスクリット語の授業のノートを貸してもらったり、下宿で夜明けまで議論したり、思い出せばきりがない

大学の密教学会の代表に就任されたようです
知らんかった(汗)

実は去年、高野山大学は、国文科とか英文科とか社会福祉学科とかいろいろ学部があったのを整理して、密教学科とスピリチュアルケア学科の二つだけに整理統合してしまったのです
その統合後初の学会報ということで、記念すべきものです

特集を「密教とこころのケア」ということで、なかなか力作の論文が集まったようです
このブログをお読み頂いている方には興味ある論題かと思います

スピリチュアルケアというのはもともと、国連のWHOで、「肉体と心の健康」だけが健康の範囲だったのを改革して、「健康とは、肉体と心とスピリチュアルがダイナミック(力動的)な状態をさす」と定義しようとしたのがお話の始まりです
今のところ議長預かりで決議までにはいたっていません

スピリチュアルとはなにか、というところが全世界的な合意に至っていないのが理由です

実はこの「スピリチュアルな健康」を言い出したのはイスラム諸国です
僕もよく知らないけど、医療行為や病気の治癒に、アッラーの思し召し、あるいは、アッラーの意志の反映を認めているんでしょうねぇ
それで、イスラム諸国においては、おそらく、スピリチュアルという言葉にかなり宗教的な意味があらかじめ設定されているだろうことは考えられます

ですけど、これが、我が日本国では、スピリチュアルといえば江原さんを連想する方が多いんじゃないでしょうか
シルバーバーチとかが元ネタということになれば、スピリチュアル、イコール、心霊ですね
霊性でもいいけど

で、いろいろ論文をご紹介したいんですけど、特にですね
長谷川淑崇さんの「現代スピリチュアリティ思想の位相」から引用させてもらいます(密教学会報第44号p.52)

十九世紀、まったく相手にされなかったスピリチュアリティ思想が現代社会に要請される理由として、成長信仰を持つ合理社会が死の意味づけを人々に与えて、その虚無を覆い、さらにシステムを持続させる目的に、現代スピリチュアリティ思想が合致したことを前半部分でみました。
死後も続いてゆくたましいの物語世界を与えることが、現在のむなしさや苦痛を意味づけ、癒すからです。
しかし、ターミナルの現場においてのそれは、少し違ったものでした。
怒り狂っていた人でも、亡くなられる前には落ち着いて、リラックスした気分になる。それほ、言葉集めで意味づけしたり、新しい拠りどころ探しをするのとは、やはり違った何かがある。私は、それが"聖性"なのではないか、と考えました。聖なる価値とされてきたものが、本人の中に芽生えること、それが、スピリチュアリティなのではないか。キりスト教でいえば博愛、仏教でいえば慈悲が相当します。
今、私たちの社会は、これらが個人の中に発現され難くなっています。
合理的社会も悪ばかりではなく、肉体的な「貧・病・争」を減少させる有用な価値です。しかし今、心の「貧・病・争」が広がりつつあります。
それは、聖なる価値が見失われているためかもしれません。それをターミナルの患者たちが気づかせてくれているように感じます。


この人は上田さんの論文も引用してます

現代社会は、「明日は今よりもより善くなる」という成長信仰と、目に見え手で触れるものだけ信じる合理性とでささえられていますが、そうすると、「死」は「絶対的な虚無」としてどうしようもなく価値が見いだせなくなります

死後にもたましいが存在する、かたちを変えて生き続ける、そういった物語世界が癒しであり苦痛の軽減になる・・・・・かというと、実際はそうじゃない

「言葉集め」や「拠りどころ探し」とは違う

死に臨んだ人の中に聖なる価値が、芽生える

それこそがスピリチュアリティだと


これは、「聖」とはなにか、とか言い出すと、また議論があっちいっちゃいますが
スピリチュアルは心霊じゃないよ、ってあたりが慧眼です

「あの世があって、いろいろ面白いぞ」なんてお話じゃ、ほんとに死んでいく人は納得しないのよ

「聖なる価値が芽生える」とまあ、どう表現しますかね
僕は「次元の違う感触が来る」と言ってるんだけど
まあ、とにかく、言葉じゃないのですよ




マスコミさんも、この程度のお話についてこれるようになって欲しいですね


ちなみに、引用した文章は新しく買ったプリンターからOCRで作成しました
便利だね