2006-08-28

引導

先日、珍しく葬式の導師をしました

僕の寺は檀家さんが10軒ほどしかないので、めったに葬式はしません
2年に1回あるかないかです
ですから、法事もほとんどありません

普通の檀家寺のご住職は、僕がどういう生活をしているのか想像できないだろうと思います
うちの子供達も、どうやって生活費を得ているのかわからないようです(汗)

ですから、葬式をしなければならないことになると、ほんとに焦ります
やりかたを忘れてしまっています
いろいろ書いたものなどを引っ張り出して復習します
それで、まあ、なんとかなります



仏教の葬式の作法の中に、引導作法があります
引導と言わない宗派もあるようですが聞いたことのある方が多いでしょう
引導を渡す、とか

宗派によって若干の違いがあると思いますが、天台では、引導作法によって、死者に「あなたは死んだから極楽にいきなさい」と促します
小声で語りかけて、周囲の会葬者に聞こえなくてもよい、と老僧方には教わりました


時に応じ文句を換えたりしますが、たいていは次の文句を使います

諸法従本来 常時寂滅相 仏子行道已 来世得作仏

諸法はもとより常に寂滅の相をしている(仏の目から見れば完成された世界である)
仏弟子は道を行じおわって来世に仏となることを得る


それに
新円寂○○見仏聞法 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、・・・

とか、付け加えます
あとは、地方によっても違うし、参列者によっても違うし、臨機応変に長短いろいろです


これ、やっぱり、亡くなったことを受け入れて貰うための儀式なんですね
誰だって、自分が死ぬなんてことは受け入れたくありません
当然のことです
ですので、すんなり行くとは限りませんが、とにかく、一度誰かがはっきり言わなければなりません
死んでも意識があるので、自分がまだ生きていると思いこんでいるケースも多いとは思います

きちんとしたお寺の住職は、仏様から真実を告げるお役目をいただいていますから、亡くなった方に語りかけることはできます
ですが、まあ、聞き入れるかどうかはわからんところがあります
葬式したから、万全でありそれでいいとも言えないのです(汗)


で、僕的には、亡者になるのは、引導が上手じゃないからじゃなくて、お亡くなりになった方の執着が強いとか、勘違いを改めようとしないとかの理由だろうと考えています
で、まあ、時間をかけて説得する意味で四十九日の法要とかをするようになったのだろうと思っています

お亡くなりになる方が、自分の死をすんなり受け入れて、この世への執着も、迷いもなければ葬式はいりません
ですが、どう考えても、この世への執着も、迷いもないなどということは、ほとんど無いだろうと思わざるを得ません
まして、意識があれば、自分が生きていると思って当然です


この先、葬式がどのような形になるかわかりませんが、引導だけはしてあげてくださいね

2006-08-25

スピリチュアルと功利主義

スピリチュアルな話題
最近、ブログとかホームページで、匿名性が高いせいもあると思うけど、なかなか盛んでいい傾向だなーとは思います

ただちょっと気になるのは、スピリチュアルであることの価値基準というか、有益性の尺度というか、そういったものが必要だという前提で話が成り立っているんですよね

どういうことかというと
「病気が治る」「御利益がある」「願望実現」「パワーを感じる」「長生きする」「破滅を生き延びる」「チャクラの開発で超人パワー」「気持ちいい」などなど、現世利益とあらたかな霊験ですね、これがまあ必要と
「カルマの解消」「悪因縁からの解脱」も付け加えときます

これつまり、否定する必要はないわけですけれど、どのみち人間いずれ死んじまうわけです
生きてるうちの利益というものは、いずれ消滅するわけです

で、まあ、「いいことあります」って調子のアピールは、まあ、実際限界があるんです




X-ray: NASA/CXC/M.Markevitch et al.



生死を越える、あるいは、死んでもやりとげる価値ある仕事、自分を投げ出してでも誰かを守る
とまあ、こういったギリギリの本当の人間性を試される場面で、今風のスピリチュアリズムがどの程度使えるものなのか・・・・疑問ですな

自分を守るのに役立てよう、いい子になろう、ちょっとでも得しよう
そういった、見え見えの功利主義がある

これは、アメリカ発の精神世界本などに顕著にある特色で、わかり易いといえばわかり易いけれど、資本主義世界が生んだ精神論ではあるのです

どうも
損得、勝敗、優劣でない、もっと本質的な価値が見えない

なにが言いたいんだって言う人もあるかもしれませんが、目の前に人参ぶら下げて人を走らせるのもいい加減にせえよ、ってことですな


これ、金剛頂経で「欲等調世間(欲望などによって世間を調える)」とかいって、密教的には一般的な手口なわけですけど、あくまで方便であって、最終ゴールではないわけです
どこまでわかってらっしゃるのか

これ、僕の寺が天台だから言うんじゃないんですけど
「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」
自分の利益を後回しにして他を利する、のは何故だかわかりますか
何故、自分を顧みないのか



追伸

坊主憎くけりゃ袈裟まで憎い、って言葉があるんですけど
坊主にもいろいろあるし、袈裟にもいろいろあるんで、そこんとこよろしく

ククク

2006-08-21

灯明会無事終了

19日の夜7時ー9時、灯明会、無事終了いたしました

この日は台風の余波で、各地で大雨になりましたが、この下津町でも降ったり止んだり不安定な天候となり、紀南地方は豪雨となりました

夕方になり、雨が止んで夕日がさしてきたかと思ったら、また強い雨が降り出したりして、開催が危ぶまれましたが、僕には、自信があったのです

実は、恐れ入りました10でご紹介した檀家の方に参拝していただくようお願いしていたのです
いままでお墓参りで雨が降ったことがないので、今回も降らないだろうと思っていました。

予定した7時になって、雨はピタリと止みました
心配していた風もさほど強くなく、雨上がりの涼やかな、最高の天候となりました

勤行するためお堂に上がっていったら、本堂前でばったりこの檀家の方に会いました
沢山の方が参拝されていたのに、偶然会う、ということではなかったように感じます

はっきりしない天候の時、無理矢理開催したように思った人もあったかもしませんが、そうじゃないんですよね