2005-11-28

天台大師



天台大師像  一幅  長保寺蔵  

絹本著色 縦97.6 横52.4 桃山(16世紀)

天台大師智ギ(538?597)は『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』の天台三大部などを講述し、中国天台の実質的開祖として尊崇されている。
天台大師の画像の多くは、禅鎮を乗せた頭巾を被り、禅定印を結んで瞑目する姿であるが、長保寺伝来のこの画像は、脇息を前にして左手を乗せ、右手に如意を執る、説法相の大師である。
「寄進帳」に和歌浦雲蓋院第4代住職憲海(寛文12年まで在職)が修復を奉納したとあり、やはり長保寺が紀州徳川家の菩提寺となる以前から什物として釈迦堂に備えられていた画像である。



詳しくはこちら
 天台宗典編纂所

長保寺の僧宝のページはこちら



いちおう、うちの寺は天台宗ですので
載せときます

この画像は、天台大師の画像としては日本を代表するものです
NHKの〔ラジオ 宗教の時間〕天台小止観をよむ-仏教の瞑想法 村中祐生 でもテキストに載せています

日本の天台宗は、中国の天台大師の流れをくんで発展してきました
ですが、直接、最澄と天台大師が出会ったということではありません

いまでも中国の天台山にいくとお寺が再興されていますが、そこの国清寺というお寺が中心になって、インドから細切れに輸入された仏教を再構築しました

その再構築されたのが天台学で、それを最澄は学びました
そして、日本で比叡山に延暦寺を開創し日本の天台宗を始めました
ただ、中国と日本は名前は天台宗ですが、同じものではありません
日本では、密教が付け加えられました

大乗仏教を整理体系化したのが天台大師で、その基礎のうえに密教を付け加えたのが比叡山です



当節、密教といえば真言宗の弘法大師ということになりますが、密教輸入時代には天台宗の方が活躍していたのは経典の数量からして明らかです。

天台宗は真言宗の約3倍の経典を中国から持ち帰っています。
八家秘録(平安時代入唐した八人の僧の請来目録)によると

真言宗関係の請来書
465部  888巻

天台宗関係の請来書
1201部 2326巻


真言宗は弘法大師があまりの大天才であったため、弘法大師以後教学的にはさしたる進歩がなく、宗教史に名を残すような傑出した人物もほとんど輩出しませんでした。天台宗は慈覚大師、智証大師などにより、最新の経典を根拠に広い視野で密教をとらえるようになっていきました。
長保時代(1000)頃には高野山は荒廃しきって住む者もありませんでしたが、比叡山は天皇家を中心にして隆盛を極めたのです。

一口に「比叡山は日本仏教の母山」と言いますが、主な宗派の開祖は皆、一度は比叡山で学んでいます。

法然
(1133-1212)
浄土宗
15才の時、比叡山で得度

親鸞
(1173-1262)
浄土真宗
始め比叡山に学び、後に法然の弟子となる

栄西
(1141-1215)
臨済宗
比叡山に学び、密教の一派、葉上流を興す。
二度入宋し天台山にて禅を学ぶ

道元
(1200-1253)
曹洞宗
始め比叡山に学び、栄西の弟子となる
栄西没後入宋し曹洞禅を学ぶ

日蓮
(1222-1282)
日蓮宗
比叡山にて法華経を学ぶ

日本文化の根元を知ろうとするなら、比叡山の仏教を知る必要がある、ということです。


いえいえ、自慢じゃありません

事実を述べたまでです


♪最澄は慈悲を仏教の中心に据えました。そこから日本仏教が発展していきました♪

↓応援お願いしまーす  クリックしてね↓
精神世界ランキング

2 件のコメント:

Anonymous yuki さんは書きました...

一見全然わからないような気もするのですが、ニュアンスを感じてみようと飛び込んでみると、またしるしを見つけたりします。

ランキング、昨日見つけてびっくりしました(笑)!

11/28/2005 07:52:00 午後  
Blogger Terra さんは書きました...

ランキング、あっという間に上位にきたんでびっくりします

皆さんありがとう

11/28/2005 09:00:00 午後  

コメントを投稿

この投稿へのリンク:

リンクを作成

<< ホーム