2006-11-23

カルマ

業とか因果応報って仏教が作った概念ですけど、今風にはカルマってことでスピ系でもよく使われるようになった
キリスト教とかイスラムなんかは、宇宙を作ったのも、人生で困難にであうのも神の意志だそうで、カルマは言わないんだよね

カルマの語源は、サンスクリット語で、「行為」という意味で、よい「行為」にはよい結果、悪い「行為」には悪い結果がある、という使われ方をしてきた

これが、前世のカルマが、今の人生に影響を与えるというのは、つまり、一つの理論的立場であって、実際どうかというと、はっきり決着がついた問題でもないと思うよ

これは、僕はQuantum Sense理論で言ってるんだけど、つまり、心は自由なわけ

どんなに現実に縛られていても、心だけはなんの制約も受けずに自由に妄想なり空想なり理想なりを追求できるんです
たとえば、授業中にぼんやりと昨日のテレビ番組のことを考える、なんてのは、普通のことでしょう

それで、行為の前には「何をしようか」という意志の決定プロセスがあるわけですから
カルマ--->心--->カルマ
という連鎖なのであって、いきなり、「悪いカルマ」の次が「悪い結果」に直結してるわじゃないのよ

で、「心」がですね、もっていきかたで救いにもなるし、もっと悪化させることにもなると


法華経 平安後期(12世紀)長保寺蔵

よく、障害をもって生まれるのは、高度な魂が選択したって、まあ、僕に言わせれば作り話をする人もあるようです
しかし、全くの偶然でそうなることのほうが多いんじゃないかと考えてます、僕は
そして、大きな愛を、自分も、周囲の人達も持たなければ、乗り越えていけないのではないですか

なんで、なんでもかんでも、前世のカルマや、計画やらのせいにしたがるんだろうね

偶発的な事件など、いくらでもあるんじゃないの

ただし、前世の影響、あるいは計画が無い、と言ってるんじゃありません
なんでもかんでも、単純に考えるなと言ってるんです

「自由」というものが存在する、と考えるならば、偶発的な事件がいくらでも起こり得るってことでいいんじゃないですか


機械的因果応報理論、はですね、不確定性理論で、物理学的にも否定されていることだと思うよ


いろいろ先回りして取り越し苦労する人のために付け加えときますが

とんでもない悪いこと---->反省のチャンス----->結果

なのであって、お目こぼしやら、いつの間にかウヤムヤになるってことじゃないと思うよ
反省がなければ、ストレートに悪い結果だと思うよ

それと
なんの原因か分からず、いきなり、善いこと、悪いこと、が起こる理不尽なのが人生ではないですかね
何故だと言うから、適当な理由を作り出したりするんでしょう
前世の業とか、計画とか、誰かの意志とか
神話的物語を創作して現在の状況を合理化するのだけど、もともと、不合理なんですよ



仏教の寓話にありますが

矢にあたって苦しんでいる人が、どうしてもどこから矢が飛んできたか知りたいと思っている
誰が何故、矢を放ったのか知るまでは、ささった矢を抜きたくないと言う
それを、とにかく矢を抜くのが先で、何故、どこから、誰がなど、考えていたら死んでしまうぞ
というのが、仏様の教えです

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