2006-11-06

スピリチュアルペイン

スピリチュアルペインとは、死に臨んで、存在の全てを失う苦痛のこと

伝統宗教は、真正面から、このスピリチュアルペインと向き合い、地道な活動を続けています

当麻曼荼羅図 長保寺蔵
極楽世界の様子が描かれているとされている


スピリチュアルという言葉自体は、心霊主義とも翻訳され、これを専門的には実在論的心霊主義といいます(実体として霊魂が存在するという立場)

心霊学とでもいいましょうか、これはこれで膨大な経験と研究が積み重ねられていますが、宗教じゃありません

この霊魂が「存在する」というのはですね、実は伝統宗教ではさほど重視されません
まあ、感じる人と感じない人がいる、ということと、感じたとしても個人差があるということ、人によって全く違う印象をあたえることがあることなどが理由かなと思いますが、じつは、もっと本質的な理由があります

霊魂とつき合う、というか、話をしたり、コミュニケーションを図るということ自体と、宗教が求めていることとが違うからです
なんと言いますか、宗教が問題にしてるのは、誰とつき合うかじゃなくて、どのようにつき合うかです


スピリチュアルペインの解決策として、よくあるのは、霊魂は不滅であると言い、宗教を信じた人に死後の安楽な生活を信じてもらう努力をするのですが、これは、僕に言わせれば、洗脳ですよ
見えない、感じない人に、信じさせたりするのですから、実在的心霊主義は、自分勝手な空想物語を捏造する危険をもっています
つまり、作り話ね

スピリチュアルペインは、存在が全て失われることによって生じるのですから、失われないんだ、あるいは、一部残るんだという物語にすり替えるわけです

でまあ、ほんとのところ、死んだらどうなるかは、死んでみなければわかりません
ある人においてそうだとしても、自分がどうなるかは別問題です

それでですね、伝統宗教では、死後の生という霊魂の実在に依存する考えかたでなく、意味の普遍性というか、永続性を強調する考え方が重視されます
「誰とつき合うかじゃなくて、どのようにつき合うか」です
「どのように」という、意味がですね、生死を越えた普遍的な価値をもっていることを強調します

お釈迦様とかイエス様とかは、ほんとに、霊魂がどうしたとかいった話は、あんまりしないんですよ
伝教大師も弘法大師もそうです

はっきり言って、霊魂の世界にも、愛憎や突いたり引いたりがあるから、終の棲家じゃないんです
だから、霊魂にも信仰が必要です
まあ、それもあるけど、伝統宗教は、まっしぐらに、普遍的意味とはなにか、生死を越えた価値とはなにか、という問題に向き合います
霊魂にも、ろくでもない奴とか、苦しみもがいてる奴とかが多いからね、「霊魂として存在しつづけるからご安心を」とは簡単に言えないんですよ


霊魂が存在しようがしまいが、死によって存在の全てが失われる恐怖、スピリチュアルペインはあります
だから、霊魂が存在しようがしまいが成立する、救いが必要です

それが、普遍的意味、生死を越えた価値、です
言葉で言うなら、神聖なる価値です

「次元の違う感触」です

仏教では、それを、大慈悲といいます

わかってしまえば、簡単なことです

自分が、永遠の価値のなかにいる実感があれば、大慈悲とともにいる実感があれば、生死はさほど気にならなくなります

よく霊能力の強い人のなかに、修行は必要ないという人がいますが、肉体的鍛錬という意味ではそうかもしれないけど、信仰や祈りは必要ですよ
結局、自分の存在以上の存在、生死や霊界を越えた、存在以上の存在にコンタクトする必要があるんですから

1 件のコメント:

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11/13/2006 11:17:00 午前  

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