2006-08-25

スピリチュアルと功利主義

スピリチュアルな話題
最近、ブログとかホームページで、匿名性が高いせいもあると思うけど、なかなか盛んでいい傾向だなーとは思います

ただちょっと気になるのは、スピリチュアルであることの価値基準というか、有益性の尺度というか、そういったものが必要だという前提で話が成り立っているんですよね

どういうことかというと
「病気が治る」「御利益がある」「願望実現」「パワーを感じる」「長生きする」「破滅を生き延びる」「チャクラの開発で超人パワー」「気持ちいい」などなど、現世利益とあらたかな霊験ですね、これがまあ必要と
「カルマの解消」「悪因縁からの解脱」も付け加えときます

これつまり、否定する必要はないわけですけれど、どのみち人間いずれ死んじまうわけです
生きてるうちの利益というものは、いずれ消滅するわけです

で、まあ、「いいことあります」って調子のアピールは、まあ、実際限界があるんです




X-ray: NASA/CXC/M.Markevitch et al.



生死を越える、あるいは、死んでもやりとげる価値ある仕事、自分を投げ出してでも誰かを守る
とまあ、こういったギリギリの本当の人間性を試される場面で、今風のスピリチュアリズムがどの程度使えるものなのか・・・・疑問ですな

自分を守るのに役立てよう、いい子になろう、ちょっとでも得しよう
そういった、見え見えの功利主義がある

これは、アメリカ発の精神世界本などに顕著にある特色で、わかり易いといえばわかり易いけれど、資本主義世界が生んだ精神論ではあるのです

どうも
損得、勝敗、優劣でない、もっと本質的な価値が見えない

なにが言いたいんだって言う人もあるかもしれませんが、目の前に人参ぶら下げて人を走らせるのもいい加減にせえよ、ってことですな


これ、金剛頂経で「欲等調世間(欲望などによって世間を調える)」とかいって、密教的には一般的な手口なわけですけど、あくまで方便であって、最終ゴールではないわけです
どこまでわかってらっしゃるのか

これ、僕の寺が天台だから言うんじゃないんですけど
「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」
自分の利益を後回しにして他を利する、のは何故だかわかりますか
何故、自分を顧みないのか



追伸

坊主憎くけりゃ袈裟まで憎い、って言葉があるんですけど
坊主にもいろいろあるし、袈裟にもいろいろあるんで、そこんとこよろしく

ククク

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