仏教の基礎知識

「空」は、哲学的立場であるともいえます
触ることも、見ることもできませんから

今、モニターを見てらっしゃいますよね、では
パッと目をつぶってみてください

その間に、モニターは月の裏側に飛んでいってます

なわけはないのですが 見てないから、わかりません
わからないけど、ある

それが「空」です

だからどうした、とおっしゃるかもしれませんが、 我々は感覚器官を通じて外界を認識して脳内に再構成しているのです
ですから、実際は、脳内世界を生きているわけです
で、真実の世界は、感覚器官で感じる前の世界なわけです

脳内世界が「色」
真実の世界が「空」です

脳内世界の「色」は、脳の数だけあることになって、対立、独善、妄想、など自動的に生み出される原因になるのです
「我」と言うこともできます
つまり、不幸の原因です

じゃ、「空」はどうなっているのか、ということですが、見たり触ったりする前の世界ですから、絶対に説明することができません
でも、そこにある

「空」を感じることは、つまり、真実の世界を感じることです

お釈迦様は、その方法を見出したから、悟りを開いたわけです
その、第一歩は「微笑むこと」です

 

般若心経の模式図

 


円頓章 解説

 


本覚讃 解説

 


舎利礼 解説

 



一心三観 解説

 

 

 

「仏になる」と決意する

努力は報われる

いいことをする人は、いい人
わるいことをする人は、悪い人
だから、いいことをしましょう

仏菩薩を尊敬し
八百万の神を尊敬し
イエスキリストを尊敬し
アラーの神を尊敬し
自分を信じる

輪廻転生はある
因果応報はある
神々と先祖の助けはある

慈悲と智慧

己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり

 

 

 

Quantum Sense 今風に言うとどうなるか、参考にしてみてください

あなたは仏教を知っているか? 「空と唯識」が仏教の基本です それを図式化しました

Do you know Buddhism 2014/09/06

 

 

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Quantume sense スライドショー説明

 

 


仏教の豆知識

仏教の「仏」という言葉

「お経」という言葉の「経」の意味

多神世界

基本構造は同じ

七仏通戒偈

梵網経

破地獄偈

一切衆生悉有仏性

日本仏教の流れ

自灯明法灯明

心を開いて

 


解説

 

「仏になる」と決意する

「仏になる」と決意することが、一番重要です
一度決めたら、絶対に後に引いてはいけません

何回、何十回生まれ変わってでも「仏になる」と決めれば、必ずなれます
僕らは、過去を書き換えるために生まれてきたからです

細々したことは、後から整っていきます

汝是當成佛。我是已成佛。 常作如是信。戒品已具足。
汝は、まさにこれから仏となる
我はすでに仏となれり
常にかくのごとき信をなせば
戒はすでに具足している(梵網経)

いつか仏となる、と信じていれば、全ての行いは自ずと身に備わります
誰も見ていないところでも、いいことをするようになります
「大乗起信論」に「信をもって能入とす」という言葉がありますが、決意という表現にしました

「仏になる」と決めてしまえば、どんなに時間がかかろうとも、あなたはいずれ仏となります
現在どういう境遇であっても、今の生活は仏にいたる必要不可欠のステップです
過去の行いはすべて、仏となったあなたに生かされます
細かいことをクヨクヨ心配するのは無駄なことです

「仏になる」という決意こそが、日本大乗仏教の特色です
「仏になる」という決意がなければ、なにをやっても、物まねです
「仏になる」という決意があれば、すべてのことは、仏になるための経験になります

「願以此功徳。普及於一切。我等與衆生。皆共成佛道」(法華成仏偈)
ねがわくばこのくどくをもって、あまねくいっさいにおよぼし、われらとしゅじょうと、みなともにぶつどうをじょうぜん
お経の最後でいつも決意の言葉を唱えています

タイとかミャンマーの清らかなお坊さんと比べて、日本のお坊さんは堕落していると考えている人がいますが、中身を見ることをお忘れなく
妻帯し酒を飲み、肉を食べても、立派な人は立派です

 

 

努力は報われる

ヒンドゥーとの違いは、
「いいことをすれば来世に良い所に生まれる」ヒンドゥー
「来世まで待たなくても、努力は報われる」仏教
です

一見、すぐに報われなくても
経験は、なにがあっても失われることはありません
敗北や滅亡すらも、貴重な経験なのです

  

いいことをする人は、いい人
わるいことをする人は、悪い人
だから、いいことをしましょう

これは、七仏通戒偈

諸悪莫作 悪い事はしない。
衆善奉行 善い事をする。
自浄其意 すると心は清らかになる。
是諸仏教 これが仏様の教えです。

なのですが

他人の悪口を言っても、偉い人にはなれない
偉い事をする人が、偉い人である

という事でもあります
また

生まれによって偉い人ではない
行いによって偉い人なのである(法句経)

という意味でもあります

 

仏菩薩を尊敬し
八百万の神を尊敬し
イエスキリストを尊敬し
アラーの神を尊敬し
自分を信じる

世界のどこに行っても、これで誰とでも友達になれます

実際に我々が暮らしているのは「多神世界」です
すでに存在している神々を消し去ることなどできないのです
世界中の神々を尊敬し、仲良くすれば済むことです

さまざまな宗教に、それぞれ異なった教義がありますが、それは理屈にすぎません
どこが優れ、どこが間違っているかを決めるのは自分です

正月に神社に初詣をし、結婚式は教会で、葬式は寺
これで、全然オッケーということです

信じるに値する自分になる努力が必要だ、ということでもあります

難しく言うと、天台本覚思想です
一切衆生悉有仏性(涅槃経)
生きとし生ける者に、すべて、仏となる性質がそなわっています

朝起きて、誰かが代わりに便所に行ってくれるわけではありません
腹が減って、誰かが代わりに飯を食ってくれるわけでもありません
生きていくのは自分なのです

自分を信じられない人は、他になにかを信じることはできませんよ

最後まで自分を見捨てないでください
今の行いは、来世でも役に立つのですから

 

輪廻転生はある
因果応報はある
神々と先祖の助けはある

これは、古代インドから普遍的な教えです

輪廻転生は、臨死体験や退行催眠、前世を記憶する子供たち、などによって実証されつつあります
仏教では、お釈迦様の本生譚(ジャータカ物語)として、前世の話が多数収録されています

因果応報は、輪廻転生とセットです
華厳経でいうところの重々無尽縁起です
全ては繋がっていますから、自分のしたことは、全て自分に帰ってきます

神々と先祖の助けには、仏菩薩も含まれます

助けるのに条件のある神様もいます

キリスト教は、契約した者だけ助けます(新約聖書の約とは契約のことです)
阿弥陀如来は念仏(南無阿弥陀仏)を唱えなければなりません
観音様は念じなければなりません(念彼観音力)

お釈迦様は、なにもしなくても救ってくれます
毎自作是念、如何令衆生、得入無上道、速成就仏身(自我偈)
つねに自らこの念をなす、如何がして衆生をして、無上道に入ることを得しめ、速やかに仏身を成就せしめんかと

ご先祖様も、だまっていても助けてくれています 

 

 

慈悲と智慧

慈悲だけでもいけません
智慧だけでもだめです

両方、いつも必要です

「仏教は哲学だ」とも言いますが、慈悲が必要です

仏教の中心に慈悲を据えたのは伝教大師、最澄です

 

己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり

これだけわかっていれば十分です


 

活路

 

 

仏菩薩を尊敬し
八百万の神を尊敬し
イエスキリストを尊敬し
アラーの神を尊敬し
自分を信じる

世界のどこに行っても、これで誰とでも友達になれます

さまざまな宗教に、それぞれ異なった教義がありますが、それは理屈にすぎません
どこが優れ、どこが間違っているかを決めるのは自分です
正月に神社に初詣をし、結婚式は教会で、葬式は寺
これで、全然オッケーということです

信じるに値する自分になる努力が必要だ、ということでもあります

難しく言うと、天台本覚思想です

一切衆生悉有仏性(涅槃経)
いっさいしゅじょうしつうぶっしょう

一切衆生に悉く仏性有り

生きとし生ける者に、すべて、仏となる性質がそなわっています

朝起きて、誰かが代わりに便所に行ってくれるわけではありません
腹が減って、誰かが代わりに飯を食ってくれるわけでもありません
生きていくのは自分なのです

自分を信じられない人は、他になにかを信じることはできませんよ
最後まで自分を見捨てないでください
今の行いは、来世でも役に立つのですから


なのですが、悪い奴もいれば、話の通じないヤカラや、確信犯など、敵意と悪意に満ち満ちているのが世の現実です

仏性など無い奴もいるのではないかとさえ思えるのです、が

 
 
 
 
つまりは、目に見える前の、感じる前の世界には、一切のエゴイズムはありません
それでいて、静かに均衡を保っています
それを「寂にして照らす」とも表現します
空、法界、本覚、神力、仏性、真如、大慈悲、などなど、感じられる前の世界の属性の一部を取り出して言葉で表現したにすぎません
 
見る前の世界だから、数を数えることはできませんから、一でも多でもなく
感じる前の世界だから、同じでも違うでもなく
来るでも行くでもなく
有るでも無いでもなく
好きでも嫌いでもなく
善でも悪でもなく
正しいでも間違いでもなく
表でも裏でもなく
楽でも苦でもなく
愛でも憎しみでもなく
戦争も平和もなく
損も得もなく
生も死もなく
生じるでも滅するでもなく
増すでも減るでもなく
綺麗でも汚いでもなく
均衡を保ち続けています
 
その感じる前の世界を、感覚器官を通じて脳内に再構成して、今、我々は生きています
今、パッと眼をつぶっても、眼の前のモニターはそこにあります
眼を開いたら、モニターの姿が脳内に構成されます
 
眼をつぶった時に、眼の前にあるモニターの姿はわかりませんよね
眼をつぶってるんだから、見てないわけですから
でも、眼の前のモニターは、映像を映しています(見てないから、わからないのですが)
見えてないモニターに、何が写っていても、評価のしようがありません
見ることが出来るからこそ、好きとか嫌いとか、評価できます
まあ、当たり前の話なんですけど
 
それで、眼を開いてモニターを見た時に感じることは、各人、千差万別、十人十色、それぞれ違います
意見が一致することもありますが、確認しなければわかりませんよね
 
それを、感じる前の世界を、自分なりに脚色して再構成して感じている、と言うこともできます
歪みもあれば、妄想も、誤解も、間違いも、思い込みも、見落としも、あると
 
人間には自由がありますから、各自勝手に、脳内世界を構築してるのです
 
 
自分を信じる」と言ったところで、歪んだ脳内世界を信じてもしょうがないのです
ですが、脳内世界を生きるしか、我々には生きる方法がありません
各人、今まで受けた教育や、経験、学習などを駆使して、生きていくしかありません
脱線、紛争、いさかい、衝突、誤解など、不可避です

 
たとえば、これから益々複雑化する国際関係を例にとれば

中国、台湾、韓国、北朝鮮、日本は、飛行機で飛べば、2,3時間で行けるところにあります
益々近くはなっても、遠くなることはありません
付き合っていくしかないのです
その時、各国は、自国を信じて、国益を追求して諸外国と付き合うしかない

で、その、自国を信じるわけですが、自分勝手な妄想を信じてたら、まあ、少なくとも嫌われます
戦争になるかもしれない
むしろ、戦争したい奴がいるかもしれない
だとしても、自国を信じるしかない
いったいどこに活路があるのか?

それを、仏教はどのように解決するのか?

法華経の破地獄偈ですが

毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身
まいじさぜねん いがりょうしゅじょう とくにゅうむじょうどう そくじょうじゅぶっしん

つねに自ら(お釈迦様が)この念をなす 「何をもってか衆生をして 無上道に入らしめ 速やかに仏身を成就するか」と

毎自というところがポイントです

これは、お釈迦様が、つねに、今この時も、自分で自発的に、無上道に導こうと念じている、ということです

「救って欲しい」とお願いされたからでは無い
一方的に無条件に念じている
だから、地獄にいて、なにも為すすべが無くても救われる
救われて仏身を成就する

ただし
お釈迦様が正義のヒーロのスパイダーマンのように現れて、どっこいしょと助けてくれるのとは違います

無上道に入らしめ」で、道に導くのです
進むのは、自分です
まあ、ですから、仏教というのは誤解を招く表現で、仏道が適切ですね
進むのは自分ですが、だからその、ホトケの導きで感じる前の世界の真実に基づいて進むと、、
奇跡的な自然治癒など、無いとは言いませんが、それでも、それなりの養生節制は必要です

わかりやすく言うと
一度無心になって、相手の立場に立って考えて、解決策を見出す
自分の都合が、相手から見たらどう見えるか考える
なにが「本当の利益」なのか、素直に考える
など
冷静な状況判断から、活路を見出す
ということでしょうか

落ち着いてよく考える、ということが、仏道の基本である、と

それで戦争なら、覚悟を決めて戦うしかないのです
まあ、冷静に、どう終わらせるか考える必要はありますが

平和も慈悲も、脳内世界の産物です
感情を離れ、冷静に情勢を分析して、戦う時は戦い、慈悲が必要なら慈悲を行うのです

こういうことを書くと、戦争賛美、残酷趣味とうつるかもしれません
ですが、僕はチベット仏教の末路を思うのですよ
観念的な平和主義では、残虐な攻撃を避けることができません

楽ではないですが、活路はあります
その活路を進むしかないのです