立身出世の大門(登竜門)

 


長保寺の大門を入るとき、見上げると鯉の彫り物があるのに気がつくと思います。実はこれ、左甚五郎の作と言われています。左甚五郎と言えば、日光東照宮の「眠り猫」「見ざる、言わざる、聞かざる」などの彫刻が有名ですけれど、もともとは紀州の人です。ですから、粉河寺にも「門前の虎」など左甚五郎の作品が残されています。もともと御三家の紀州の腕利きの職人だから、請われて日光に行って仕事をしたというのが順序なんです。
江戸時代、長保寺は藩主の菩提寺ですから、その入り口の門を飾る仕事は当代一の職人が選ばれたに違いなく、左甚五郎説は信憑性があると思います。

それで、なんで鯉が彫られているのかというと・・・

 

 

大門をくぐると、反対側には、虎と龍の彫り物があります。

龍虎のモチーフは、虎が大地の王、龍が天空の王ということで、一般的といえば一般的ですが、虎は特に徳川家康の干支でもあり、徳川家では好んで多く用いられています。実は、紀州初代藩主の頼宣も寅年生まれです。それで、家康は、頼宣が自分と同じ寅年に生まれたのをたいへん喜んだと伝えられています。
じゃ、なんで龍があるのかというと、これは中国の「登竜門」の故事にちなんでいます。

「黄河は激流で魚が川を遡ろうとしても途中で死んでしまうのだけれど、鯉だけは遡り、上流の深山にあるという竜門の滝を登り切れば、やがて龍になって天に昇る」

という故事から、登竜門をくぐれば、鯉が龍になるように、立身出世すると言われるようになりました

それで、この大門を登竜門に見立てて、南から入るところに鯉、くぐって出る北側に龍の彫刻を作ったのです。

ちなみに、この門をくぐった吉宗は、10年間紀州で藩主を務めましたが、ご存じのとおり将軍となりました。

 

「だけど、全部が全部、出世したわけでもないだろう」とおっしゃいますけれど、それにはわけがあるんです。

 

 

 

大門をくぐると、鯉から変身しますが、龍の側から帰ると龍に、虎の側から帰ると虎に(汗)、そのままもとに戻ると、もとの鯉になるのです。

これは、秘伝です。 知っている人はごく僅かです。
ここに公開いたしましたので、是非、これをお読みになったあなた様は、お参りを終えましたら、龍の側から帰って、立身出世されますようお祈りいたします。

 


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