多神世界 仏教の世界観


正月に神社に初詣に行き、盆には寺に墓参り、クリスマスにはツリーを飾る
日本社会では、ごく普通のことですけれど、これは、無宗教などではなく、仏教的な世界観が土台にあるからできることです
まあ、無宗教なら寺社参りなどしませんから
 
いまさら、世界中に仏教徒になれとは申しませんが、少なくとも、現在の世界は多神世界である、ということは認めていただきたいですね
 
 
 

仏菩薩を尊敬し

八百万の神を尊敬し

イエスキリストを尊敬し

アラーの神を尊敬し

自分を信じる

 自分を信じられない人は、他になにかを信じることはできません自分を信じられない人は、誰かを信じているようで、それは盲目的に依存する「おすがり」です

自分を信じる、その根底に、「一切衆生に悉く仏性あり(涅槃経)」という釈尊の教えがあります
自分自身の中に、真実を見極める力があるのです

I respect Buddha 
I respect Christ 
I respect Allah 
I respect many Gods
 And  I believe in my good heart
 
多神教という言葉は聞いたことがあるとおもいます

 
ですが、ここで言いたいのは、多神世界です
 
こういう概念があるということを知っていただいて、是非、世界平和の為にも流行らせていただきたい
 
一神教のキリスト教やイスラムが、いろいろ主張しても、世界の実態は多神世界だということなんです
そして、この多神世界であることを前提にした宗教もある、ということなんです
たとえば、神道、仏教、ヒンドゥーなど
 
一神教は、数ある神の中から自分が帰依する対象を選んでいる、というのが実際のところです
 
それが、今ある世界なんだということを、是非知っておいてください

 
 

増神世界

 
 
先日バチカンで、新法王のもとで初めて、宗教対話の会議が開かれたらしい
バチカンには諸宗教対話評議会というのがあるのです
イスラムからは誰も招かれなかったが、仏教からということで山折哲夫さんが招かれたらしい

昨日の読売新聞に山折哲夫さんがいろいろ書いていたが、「事実上、世界は多神世界になっている」と指摘していた

こんなことは、わかりきったことだと思うけど
バチカンはなかなか、この事実を認めようとしないのですね

新法王がイスラムを呼ばなかったのは、なぜなのか聞きたいところだが、前向きな印象は持てないね

僕は単純だから、どうやって一神教が今の世界を説明するのか、さっぱりわからないですね

それで、仏教は、基本的に、アニミズム肯定で、なんにでも神が宿る世界を想定しています

まあ、それを最後には、自我という幻想にしがみついているだけだと、棄てさってしまうのですけど

それでも、自我にしがみついている間は、霊魂もあれば、神もいれば、菩薩もいるし、我々普通の人間もいて、なかなか多彩です
自我から完全に解放されたら如来になることになってます、仏ですね

神をどう定義するかは、諸説ありますが、仏教的には、偉い霊魂は皆、神です
菩薩は、すでに学ぶことはないが、この世に止まっている存在ってことになってますから、神様と菩薩は、どうも同じようなもんだと思います

まあ、言葉の問題ですので、深入りしても、ほんとの所には行きません
似たようなもんだということにしておきます

それで、自我から解放されれば神仏ですから、仏教的には、神仏は増えつづけます

多神世界どころか、増神世界です

そこらへんの所から、世界平和を考えないと、とんでもない勘違いをすると思います

そう言えば、世界宗教サミットというのの第1回をバチカンでやって、2回目は比叡山でやりました

ご存じないかもしれませんが、比叡山の仏教は、バチカンから熱い視線を注がれています
前のヨハネパウロ法王はスピーチの中で「忘己利他」の精神が共通の価値だと説きました

それで、比叡山のサミットの最後に、世界の宗教にとって最高の価値はなにか、ということで議論になりました

「幸福」なのか「平和」なのか、どっちだ、ということになりました

あなたも、考えてみてください

結局「平和」ということになりました
隣人と仲良くすることを、自分の喜びの追求より優先させました

まあ、自分勝手な奴が世界にはたくさんいて、好き放題されても困る
仲良くするのが、最低限のマナーだ、ということでしょう

そこまでは、丸く収まりました

それから、じゃあ、世界平和のため、皆で祈ろうってことになりました

そしたら、イスラムの代表が、他宗教の人と一緒に祈ることはできない、って言いだしました

唖然です

で、各宗教、それぞれのやり方で別々に祈ることになりました

その時点で、多神世界を認めたことになるような気がしますけどね
違うのかな

 
 

多神世界

 
 
 

山王垂迹神曼荼羅 絹本着色 江戸後期 長保寺蔵

「日吉山王の諸神の姿を画面に構成したもので、諸神の数や配列に多少の異同がある。本図の場合、神殿の内陣に上七社の七神、外陣に猿面の大行事と早尾の二神と狛犬一対を配し、下方の階段付近に神猿を描いている。」

仏教が日本に伝来してから、基本的には神仏習合で、日本古来の神様と、仏教の仏菩薩天は同時に信仰されていました
それが密教では真言系が両部神道、天台系が山王神道と独自に理論化して、本地垂迹(ほんじすいじゃく)と言うのですが、日本の神々の本体は仏様ということにしました

天照大神=大日如来とか、あてはめていくわけです

よく権現様と言いますが、仏様が仮の姿で(権)あらわれた(現)という意味です

ローマのパンテオンは円形に神々を並べて中心に人間がくるのですが、垂迹説では、本体が仏ということで、仏教的世界観の敷衍になるのです
しかし、統一見解といったものはなくて、宗派や時代によって、少しずつ違います

多種多様な神様達がいるのを、どうまとめるかという、いわば政治的動機が根底にあって、共和制的神殿になったり、中央集権的曼荼羅になったりするということですね
一口に多神教と言ってもいろいろあるということです

これが、ローマカトリックやイスラムでは、もう個性的な神々はいません
否定されてしまいます

それで、今の世界を考える時
キリスト教やイスラムなどの一神教や、仏教や神道、ヒンドゥーなどのような多神教が同時に存在してるわけです
多神世界であるのが現実です

これを、一神教の人たちは認めないのですよ
ま、妄想にしがみついているのですね

ただ、多神世界では、神様達が仲がいいか悪いかという問題が生じるのです
スサノオの神話や、まあ、いろいろあります

神々の世界にも秩序が求められるのですね

それで、僕ら自身が、現代の多神世界が、共和制神殿なのか中央集権曼荼羅なのか、イメージを創り出す必要に迫られているのです

僕は、パンテオンですよ
ただし、パンテオンの中心は、仏心です

よいことをすれば、いい神様
わるいことをすれば、悪い神様
生まれによって善悪はない、行いによって善悪がある

ま、仏教の基本です

余談ですが

神様には眷属(けんぞく)がいるんですね
神使ともいいますが、使い走りです

鹿  春日大社・鹿島神宮・厳島神社
兎  住吉大社
猿  日吉大社・春日大社
烏  熊野三山・諏訪大社・日吉大社
鳩  八幡宮
鶏  伊勢神宮
蜂  二荒山神社・日吉神社
鰻  三嶋大社
鼠  大黒天
蛇  弁才天・大神神社
海蛇 出雲大社
狐  稲荷神
牛  天満宮
亀  松尾大社 
狼  武蔵御嶽神社・三峰神社

神使wiki 

これねぇ

熱心に、こういう神様拝んでると、その人の周りは、うじゃうじゃとね
なってきます

人間界の邪魔しないように、なだめるため、おまつりしてる神様もありますが、しばしば羽目を外すんじゃないですか

桃太郎の家来のようなもんで、主人の言うことは聞きますが、甘やかされていると、悪さ、いたずら、からかい、冗談など連発します
神様にも都合がありますからね

最近の外国産は、トンデモなのがほとんどです
つまり、外国で相手にされないのが来てたりします

仏教の修行の邪魔をした話も、もう、お釈迦様の時代からあります

坐禅してたら、蛇にぐるぐる巻きにされたとか
仏に化けたとか

これはこれで、難しいということですね