長保寺勤行次第

長保寺勤行次第

先 長跪合掌

  我従過去世 流転於生死 具造諸悪業
  今対大聖尊 尽心以懺悔 如先仏所懺
  願乗加持力 衆生悉清浄
  以此大願故 自他獲無垢

次  五体投地

  一心頂礼十方法界常住三宝

次 総礼伽陀  解説1 解説2 

  我此道場如帝珠  十方三宝影現中 我身影現三宝前  頭面摂足帰命礼

次 懴悔文

  我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身語意之所生 一切我今皆懺悔

次 開経偈

  無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義

次 心経 解説

  咒七返

咒の部分だけ繰り返します

次 圓頓章 解説

  圓頓者。初縁實相。造境即中。無不眞實。
  繋縁法界。一念法界。一色一香。無非中道。
  己界及佛界。衆生界亦然。
  陰入皆如。無苦可捨。
  無明塵勞。即是菩提。無集可斷。
  邊邪皆中正。無道可修。
  生死即涅槃。無滅可證。
  無苦無集。故無世間。
  無道無滅。故無出世間。
  純一實相。實相外。更無別法。
  法性寂然名止。寂而常照名觀。
  雖言初後。無二無別。
  是名圓頓止觀。
  當知身土 一念三千 故成道時
  稱此本理 一身一念 遍於法界

「己界及佛界。衆生界亦然」は、本尊加持の字輪観の本尊・我・法界衆生と同じ概念です

次 舎利礼 解説

  一心頂礼 万徳円満 釈迦如来 真身舎利
  本地法身 法界塔婆 我等礼敬 
  為我現身 入我我入 仏加持故 我証菩提
  以仏神力 利益衆生 発菩提心 修菩薩行
  同入円寂 平等大智 今将頂礼

「仏の加持のゆえに、我は菩提を証す」
「仏の神力をもって、衆生を利益す」
この部分が、字輪観と同じ構造になっています

次 本覚讃 解説

  帰命本覚心法身 常住妙法心蓮台
  本来具足三身徳 三十七尊住心城
  普門塵数諸三味 遠離因果法然具
  無辺徳海本円満 還我頂礼心諸仏

次 金輪加持 解説1 解説2

本尊加持 輪 種三尊 印真言 四摂 
    一切諸法本不生不可得なるがゆえに本尊もまた本不生不可得なり
    ゆえに我もまた本不生不可得なり
    ゆえに我本尊の心中に入る

平等平等で入我我入が建前ですが、理屈はそうでも本尊の心の中に自分が存在すると観念するほうがわかりやすいです
(本尊の心中の「一切諸法」は「一切」ですから「我われ」が含まれます
ですが「我われ」の心が一切を含むかというと、そこまで広大とは思えないわけです)

正念誦 加持念珠 念誦 還念珠
   我欲抜済無余界 一切有情諸苦難 本来具足薩般若 法界三昧早現前
   修習念誦法 以是生福田 得入無上道 速成就仏身 

字輪観

  一切諸法本不生不可得なるがゆえに我も法界の衆生もまた本不生不可得なり
  ゆえに本尊の(無上の神力、無上の威徳力の)加持によって
   我と法界の衆生
  今ここで、離苦得楽し、無上道に入るを得、速に仏身を成就す

本尊の心の中に自分と衆生がいるから加持があります。
これは金輪が本尊の場合です。本尊がどなたかによって(無上の神力、無上の威徳力の)の部分は「本尊の請願の加持によって」などと変わってきます。
時間と空間のない世界のことですけれど「今ここで」を入れないでやってみれば違いがわかります。
加持によって本尊の力を、本尊の心の中にいる自分が使う、という組み立てです。 

本尊加持 印真言 四摂 佛眼佛母

次 諸真言

次 観経文

  光明編照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨

次 念仏

次 回向、祈願等

  身体健全 家内安全 富楽繁栄 開運招福 諸願成就 如意吉祥
  度一切苦厄 得入無上道 速成就佛心
  (祈願随意)一切法成就

次 破地獄偈 解説1 解説2

  毎自作是念 如何令衆生 得入無上道 速成就仏身

得入無上道 最短 
速成就佛心 最速
最短最速で仏身を成就するということです
仏教は輪廻転生があることになっていますから、時間は無限にあります
いくらでも手間と時間をかけることができますが、まわりくどいことをせず最短最速でやる、ということです

 

 

毎自 (つねにみづから) こちらから頼まなくても、お釈迦様が、常に、自ら、念じてくれています
だから、地獄ににいて祈ることすら忘れてしまった衆生ですら救われるので、破地獄(地獄をも破る)というのです

次 五体投地

  一心頂礼十方法界常住三宝

 

大梵鐘入魂作法偈
   洪声震響覚群生 声遍十方無量土 含識群生普聞知 抜徐衆生長夜苦

現行では、朝6時に鐘を撞いてから本堂で勤行しています