2007-01-03

赤ん坊の笑顔


皆様、新年あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

今年の、お寺のホームページのトップは、多宝塔の金剛界大日如来の画像です
この写真は大阪大仏堂さんがカレンダー用に撮影してくださったものを使用しています

初公開です

平成10年に、中西盛二仏師により修理されました
そのとき、台座の中に、修理寄付者の名前を書き記したものを納入しました

こういう仏像の修理は、すくなくとも300年に一回は必要になります
金箔などを漆で張り付けていますが、漆の接着力が300年位で無くなってきて、剥がれてくるからです

この仏像は、平安時代の一木造りで、目は彫眼、中刳りなしで素朴な造りです
おそらく、お寺で一番古い仏像で、1000年ほど前のものでしょう

黒ずんだ金属製の冠と髪飾りを被っていますが、これは江戸時代位のもので、付近のお寺の仏像に冠を寄進してまわった人がいるらしく、近辺の寺に多数の類例があるそうです
たぶん、冠と髪飾りは当初はなかったものと思われます
まあ、お気持ちを無にするのもなんですし、かっこいいので、そのまま被ってます

だれが開眼したかは、わかりません
不明です

拝んでみると、どうも、慈覚大師の性根が入っているようですが、感じられますか?




去年のベストセラーの本は「国家の品格」だったそうです
いろいろと、国家ということを考えさせられた年でした
安部総理も「美しい国」という本を出しましたが、「品格」といい「美しい」といい、あるいは「誇り」も、情緒的で感覚的な言葉です

これからは、外から強制された、型にはまったコスモロジーではなく、自分の中にある内部感覚を大切にする時代なんでしょうね

内部感覚という話をすると、すぐ、自分勝手で傍若無人で独り善がりで無秩序な混乱になると心配する人がいるんですが、ホントにそうでしょうか

どんな、無茶苦茶な人間も、赤ん坊の笑顔を持っていたんですよ


その、内側から咲きこぼれる笑顔は、やっぱり信じられると思いますよ

僕はいつも、妄想と執着って言ってますが、その笑顔を自分で汚してるんじゃないですか

右上の「光の瞑想」で微笑むのが大事だって言ってるんですけど、この無邪気な笑顔なんですよ
どうも、瞑想するとき「微笑む」のが大事って、あんまり誰も言わないんですよ
理解に苦しむね(日本の伝統宗教にもあるぞ)

人間に、忘れられているかもしれないけど、無垢な部分があるってことで、まあ、内部感覚も捨てたもんじゃないってことにしときませんか

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