2006-12-12

赦すということ

つまり、自分に危害を加えた、あるいは、身近な人に危害を加えた人を赦すということですけど

事件のあったのは、学びであるとか、前世の因縁であるとか、まあ、コスモロジーによる物語化は、僕はあまりしっくりきません

赦せないこともあるし、なんでもかんでも赦す必要もないと思います

じゃあ、争いが続くかと言えば、そうなんですけど
現実的には、いつまでも怨み続けるということになりますね

法的であるとか、復讐であるとか、合法非合法含めて、手続きを経て、赦す気持ちに近づくこともあるかもしれませんが、修復できない傷ってものもこの世にはあります

赦しに至る人が高級で、いつまでも怨み続けるのが間違っているという考え方は、これまた、勝手なコスモロジーではあるわけで、人間という存在が、そんなに簡単に気持ちを割り切れるものなら、誰も苦労しません

こういう話が理解できない人もあるかとは思いますが、それは、憎しみってものがまだ分かっていないからだと思うよ


たとえばですね

目の前に、ロープを張ったリングがあって、なぜか、自分がそこに立って、目に前の誰かと殴り合っていると、します
自分からリングから降りることはできない

どうしても負けるわけにいかない状況だとします
たとえば、負ければ、家族全員虐殺されるとか、なんかひどいたとえですけど(^^;)

で、そんな時、一方的にですね、相手を赦してもしゃあないわけです
戦い続けるしかない
おっと、殺しちゃったりですね、勝利もいいですけど、その時は、怒った相手の家族がまたリングに上がってくるって、とんでもないルールだとします

延々と終わりのない戦いをするしかない
カルマだとか、愛だとか、考えてる余裕はありません
是非もなし、って状況です

で、人生ってつまりこういう状況です

リングに立ってるんです
わけもわからず


リングの中にいる限りは赦すも赦さないもありません
死ぬまで戦うしかありません

自分が死ぬのが決着だってことです

これは、例え話ではありますけれど、誰でも、死は免れません
改めて言う必要もないですけど


しかし、相手がリングを降りたらどうでしょうか

紙本著色 羅刹天 長保寺蔵



相手の消滅です
僕が考えている赦しは、この瞬間にしかありません

つまり、追っかけていって、リングの外での乱闘をしない、ってことです
それが、赦し、だと思います



相手が死ぬまで怨み続ける、ってことになっちゃいますが、きれい事ではありませんからね
ほとんどそれしかない、というのが現実ではないですか
執念深いと言えばそうですけど、執念って深いもんなんですよ
どうしようもありません

しかし、死んだら赦してあげる

まあ、これはこれで、死んでも憎しみの再生産をする傾向のある民族もあります(^^;)
それは、しないよ、と

謝ったから赦すんじゃありせん
相手が消滅したら、それで、終わりにして追いかけないってことです


どんなに長い間転生を繰り返しても、憎しみの連鎖は断ち切れません
連鎖が続くようにできているからです
時間と空間を越えて、愛憎の連鎖が続いていくんです

因縁のある世界に住むかぎり、愛憎が尽きることは無いんです
突いたり突かれたり、もう、終わり無く続けるしかありません


それで、僕は、「次元の違う感触」って表現をしてるんですが、「次元の違う」、つまりリングの外の世界があるとしたら、そこに行けば愛憎はなくなります

愛憎や苦悩は自分で計画した学びである、って、なんか最近流行のコスモロジーですけど、リングに立ったままでは、どんなにがんばっても、愛憎や苦悩は切れ目無く襲ってくるのよ
学んでも学んでも、無力じゃないですか
学んで賢くなったつもりでも、殴りかかってこられたら応戦するしかないわけ

愛情深い奉仕活動家が、どろどろの裁判をかかえていたりね、そんなもんよ、人生は

リングの外に出るしかない、というのが、ホントじゃないですか

で、さっきの例え話ですけど、相手がリングを降りることはあっても、自分は降りる事ができません
リングを降りるのは自分が死ぬ時だけです

それでですね、死んだ後の心が、あるとしたらどうでしょう
そんな風に考えたことありますか?

そう、死によって失われることのない心

つまり、「次元の違う感触」

「次元の違う感触」を自分の心にして生きるってことなんですけどね、言いたいのは
いつまでも怨み続けろ、って話じゃないよ(^^;)


あなたが死んだ後に残る「次元の違う感触」の心で、生きろってこと
それが赦しにつながるんじゃないかな

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