2006-09-17

より大きな光

一口に仏教って言いますけど、一番シンプルな定義は

諸悪莫作 もろもろの悪をなすことなかれ
諸善奉行 もろもろの善を奉じ行ぜよ
自浄其意 みずから、その意を清くせよ
是諸仏教 これが諸仏の教えである

(七仏通戒偈  仏教では、いつかは誰でも仏になりますから、仏様といっても一人じゃありません。お釈迦様の前にも沢山仏様がいて、七人の仏様の一致した教えということです)

眼に見える行いだけでなく、眼に見えない心の中でも、悪いことをせず、善いことをしよう、ということです

なんというか、当然のことで、わざわざこれが仏教です、と言う必要もないようにも思います。世界のどの宗教でも同じこととしか思えませんね
だれもが賛成してくれる、トランスパーソナルな価値観だと思いますけど

仏を拝めとか、坊さんに布施をしろとか、悟りを開けとか、極楽に行こうとか、めんどうなことはどこにも言ってないです
よく読んでください
一神教の方達も多神教の方達も、賛成してくれる教えだと思うんですけど


平々凡々、なるべく善いことを心がけて暮らす、と、それだけじゃないですか

五感と脳が作り出す無限のイメージのなかから、この生き様を選ぶ、ということですね


不謹慎なようですが、悟りを開く必要なんかないんじゃないかと思いますよ、死んだらなにもかもわかっちゃうんだから
死んでからどこに行くか不安なら念仏するのもいいけど、別にしなくてもいいんじゃないかな

ただ
ソウルミラーネットワークですね
これは、ハッキリと認識しとく必要があります

全ての神秘体験、臨死体験は、ソウルミラーネットワークに行き着きますよ
これは、誰かが発見したとか言い出したとかじゃなくて、皆さんが転生しながら、自分で体験してきたことです
自分の魂が知っていることです
ソウルミラーネットワークって、なんかもうちょっといい言い方ないですかね(汗)
繋がっている、ってサンスクリットではヨーガなんですけど
ソウルミラーヨーガ、心鏡網・・・(汗)まあ、なんでもいいけど

この鏡は転生を繰り返しながら記憶が蓄積され、鏡の個性になります

鏡には時間も空間もないですから、永遠の存在です
今の我々の生活は、この自分のなかにある永遠の鏡の、歴史を作っているわけです

振り返ってみて、つまらぬことを沢山してるわけですけど、そんな自分を赦すことで、癒されるんじゃないでしょうか
やさしい光達の励ましや、慰めも必要でしょうけど、自分で自分を罰してるんですよ

自分のしたことに気付き、相手に謝るのは当然ですけど、つまらぬことをした自分を赦さなければならないでしょうね

それができて、人を赦すこともできるんでしょうね

鏡についた傷は、より大きな光になるきっかけなんでしょうね

0 件のコメント:

コメントを投稿

この投稿へのリンク:

リンクを作成

<< ホーム