2006-09-11

ツインソウル3



悪霊 ですけど

いわば確信犯でして、悪運が尽きるまでは悪事のしほうだい状態かと思います
心の奥底には「究極の光」がある、ということは、それはそうなんですけど、反省して改める可能性は極限まで低いです

で、これどうしてそんな存在がいるのでしょうね


自動かく乱システムが強制的に作動 p117
「時間のひずみ」と「空間のゆがみ」というしくみを、用意しておいた p117
一定レベル以上の学びを積んだ魂の人生でしか、作動しないようになっている  p119


ということらしく、つまり、耐えきれないような不幸な出来事は、自作自演だというご説明です
とんでもない光さん達だなー、ということなんですけど・・・・

悪いけど、なーんか、幼稚なこじつけです
このへんの幼稚さが、どうも、この本の限界かなー

悪霊はいない、と言ったところで、このシステムによって生じることがあるではないかと反論できますね
でなきゃ、善良な幼稚園の保母さんが、どんなやんちゃな奴でも、この子はほんとうはいい子なんです、とかばうようなニュアンスかしらん



僕に言わせれば、これは、「自由」ということの負の側面ではないかと思うのです

ご自分のことを考えてみてもおわかりのように、なにかをシェアすると表現してみたところで、そのシェアの意味はですね、皆さんてんでんばらばらです
たった一つのリンゴがあったとして、それをみんなで見ても、見える角度はそれぞれ違いますから、各自の印象はすべて違います
ある音楽を聴いても、受ける印象は各自それぞれちがいます

実際、本当のところ、各人てんでんばらばらの印象を持って生活しています
似ているものはあっても、同じものは絶対にありません

で、ネットワークで繋がって初めて、相手の印象がわかります
自分はものごとの表側から見ていたのを、あの人は裏側からみていたんだとか

ネットワークがあるから、共感や同情をする


ということなんですけれど、心は、なににも束縛されず、「自由」なんです

台所の包丁で、キャベツを刻むこともできれば、人を殺すこともできます
ビニールひもで古新聞をくくることもできれば、人の首を絞めることもできます

なんだって、やろうと思えばできる「自由」があるのです

生命進化の過程で、脳が発達して、受ける印象を脳内に構成する能力が高まって、つまり、自由度が増してきたと
ここに、誤謬や、妄想の生じる理由があるのです

で、自分が常に一番正しいと固執したりしてると、だんだんと悪事が蓄積されて、引き返せなくなると

仏教では、大自在天という、まあ、自由の神様ですね、これは、大魔王です
全ての神々が仏を賞賛するのに、大自在天だけは、我は三界の王である、といって従わなかったのを、お不動さんがこらしめる、なんて説話もあります。この大自在天は、インドではシバ神です
余談ですが、オウム真理教の本尊はなんだか知ってますか


我々は、眼耳鼻舌皮膚から情報を取り入れて、脳で再構成して、それで自我を維持していますが、この、脳で再構成する能力が向上すれば、妄想を作り出す能力も向上してるわけです
この、再構成能力の向上を「自由」の向上と考えることもできるわけです
で、高等生物ほど、心の「自由」があるわけですが、勘違いの危険も増大すると
そして、自分勝手な妄想に執着することもおきてくると

とまあ、そんなところです


続く

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2 件のコメント:

Anonymous i神。 さんは書きました...

すばらしい!!!
>自分が常に一番正しいと固執したりしてると、だんだんと悪事が蓄積されて、引き返せなくなると
変になっちゃってる人の大半がコレかもです。
誰が正しいって訳じゃないんですよね。

色々とお勉強になります。
ありがとうございます。

9/11/2006 08:12:00 午後  
Blogger Terra さんは書きました...

i神さん

ありがとー(^^)
僕が書いてることで、ちょっと変かも、ってところがあったら教えてね

9/12/2006 03:59:00 午後  

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