2006-01-08

おみくじ

今、神社やお寺にある「おみくじ」は、元々は天台宗が始まりです

平安時代、比叡山に良源というお坊さんがいて、如意輪観音を厚く信仰していました
天台宗の1200年の歴史のなかでも、もっとも霊能力があったとされ、一月三日に亡くなったので、元三大師と呼ばれています

その元三大師が観音さんからさずかった偈文が元三大師百籤といわれてる、今でも使われてる「おみくじ」です

ですから「おみくじ」は元三大師に祈って引くのが本当なのでしょう

江戸時代、徳川家康、秀忠、家光の三代に仕えた天海僧正は、霊感を元三大師からいただいてましたが、これを、一般庶民でもわかるようにしたいと祈願していたところ、夢で、戸隠神社の神棚に元三大師百籤があるとお告げがあって、探したところ、出てきたということです

偈文ということですから、大吉とか凶とかが最初からあったかどうかはわかりません

現在では、いろいろな文章のものが工夫されていますが、どうなんでしょうね

考え方としては、聖書などを、ぱっと開いて、出たところを読んで日々の糧にする、といったことのほうが、本来の意味に近いんじゃないですか



で、「おみくじ」はいろんな意味で解釈できる結論しか書かれてません
ロジックはありません
つまり、感性で解釈するので、フィーリングが大事です

なにか、自分の進路、進退、運勢、吉凶などを占うことができますが、結論にいたる論理的な説明がありません

ですから、「感性と理性のバランス」という前提があって人格の完成があるとすると、どうにもロジックのない「おみくじ」は、人間性を豊かにする方向で働かないということになります

「占い」全般はつまり、結論にいたるプロセスに理性というかきちんとした説明がありませんから、判断に迷った時にたよるとしても、感性やフィーリングとのバランスがありません

フィーリングをロジックで導くのではなく
フィーリングをフィーリングで説明してるわけです

運勢というとらえどころのないなにかを、また、とらえどころのないもので導こうということになります

占いを仕事にしてはならない、というのは、確か仏教の戒律にあったと思います

占い依存症というのがあるらしですが、ロジックであれば、整合性の点検は誰でもできますが、説明抜きの結論ですから、信じるか信じないかの選択になり、占い教の信者のようなかっこになるんでしょうね


「おみくじ」の吉とか凶とかこだわるよりは、文章を戒めとしてよく読んで、考えてみる、というのが正解かもしれませんね


♪これを占うと決めたら、二度引いちゃいけないって習いました♪

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