2006-01-01

真実報恩者


いま、天台宗でもっとも頻繁におこなわれている法要の一つに、法華懺法といって、法華経を読誦し、懺悔する法要があります

厳密には21日間、一日六回、だから四時間おきに行道といってお経を読みながらお堂の中を歩き、懺悔します
その合間に一日四回坐禅します

今でも比叡山では毎年何人も西搭というところにある法華堂で修業しています
(隣の常行堂では90日間、横になって眠らずに念仏を唱え続ける常行三昧という修業がおこなわれます)


法華三昧行法にくわしいやり方が書いてありますが、法華経をとことん拝み倒して仏の加護を得て坐禅をする、といった素朴ですが、なんか霊験ありそうな修行法です

この法華三昧行法に

流転三界中 恩愛不能断
棄恩入無為 真実報恩者


という偈文があります

三界の中に流転して 恩愛を断つことあたわず
恩を棄て無為に入るを 真実の報恩者という


三界は欲界・色界・無色界で、仏教的な世界観です
欲界は、文字どおり欲のある世界、色界はイメージや声のある世界、無色界は精神だけの世界
人間は欲界です、神様は欲界から無色界にかけていらっしゃることになってます

そんなもんかな、ということですが、仏教的には、神様も含めて、意識有る存在は皆、この三界を輪廻転生しています
また、この三界は因果応報から逃れられない世界でもあります
星にも、誕生や死がありますしね・・・


で、この三界では恩愛こそ、大事です
断ち切ることなどとんでもないです
魂は、恩愛を求めながら、三界を輪廻転生し流転し続けています

ところが、恩を棄て無為に入る、と、恩愛を棄ててしまい、無為だそうです
それを、真実の恩に報いる者である、と・・・なんのこっちゃです


無為とは、なにかを自分がしているという感覚のない無我の境地です、自分という感覚にとらわれていない状態です

これ、つまり、感性と理性が統合した状態です
いい音楽を聴いて、ただひたすら全身で感動していて、それでも、ああ、今いい音楽を聞いている、と、わかっている、そんな状態です

その、無我の境地の中には自他の区別というものはありませんから、ほんとうに見返りを求めずに人を愛する心が存在します

あー、ですから、恩を棄てたから冷たい人間になるんじゃなくて、自他の分け隔てをせずに物事を感じ行う人になるわけです

他人を助けるから慈悲、なのではなくて、人ごとではなく感じるから助ける、これです

打算も損得もありません、我が事のように感じて自然に体が動くのですから


それを、棄恩入無為 真実報恩者、とまあ、言うと

それが、悟りであって、因果をこえた生き様であると


ここらあたりが腑に落ちてくると、かなりのもんです、ハイ



占いとか、石とか、基本的には関係ない
あーよかった、めんどくさくなくて



♪あけましておめでとうございます 皆様の御多幸をお祈りします♪

4 件のコメント:

Anonymous i神。 さんは書きました...

あけましておめでとうございます。

今年もTerraさんにとって良い年でありますように。
まあ、ご利益が沢山ある所で働いて?いるのですから、良い年なのは当然ですね。(笑

いつもためになるお話をありがとうです。
今年もよろしくです。

1/02/2006 12:30:00 午前  
Anonymous sonaeyo_tuneni さんは書きました...

terraさま。
あけましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になり有難うございました。本年もどうかよろしくお願いいたします。
コメントはあまりしませんが、いつも読ませていただいております。(難しいお話しが多くて・・・・)

1/02/2006 01:41:00 午前  
Blogger Terra さんは書きました...

i神。 さん

あけましておめでとうございます

僕は今のお寺にきてから、初詣にいったことがありません

初詣される側ですから当然か

よいお年を!

1/02/2006 12:31:00 午後  
Blogger Terra さんは書きました...

sonaeyo_tuneni さん

あけましておめでとうございます

自分の気晴らしのために書いてるんで、ほとんど意味不明です

わかりにくくても、安心してください(なんじゃそりゃ)

こんな風に書こうなどと、気負ったら、全然書けなくなるんです

よいお年を!

1/02/2006 12:36:00 午後  

コメントを投稿

この投稿へのリンク:

リンクを作成

<< ホーム