2005-12-28

慈愛の感触

審神者(さにわ)

神懸かりの真偽を見極める仕事だけれども

神道には、必要とされる場合が多くあり、霊媒が神の依代となり神の言葉をチャネリングして降ろすが、その、真偽を見極める

必要、だと思うが

チャネリングを正と邪にわけ、正を神からのものとして崇め、邪となれば、神ではなく悪霊ということになって排斥するとするなら、まったく、天国と地獄が同じテレビで受信されるようなもので、システムとしては全く危うく、危険といつも隣り合わせということになる

光と闇というけれど、実際は、パステルカラーもあれば、薄らボンヤリもある

また、審神者をしている者の資質をどう見極めるのか
それも審神者するのか
なにによって信用されるのか
一つ判断が正しければ、残り全て正しいのか
誰が審神者する者を決めるのか



中世キリスト教社会で行われた、魔女裁判

記録に残っている最古の魔女裁判は、1275年フランスで老女が悪魔の子を産んだとして死刑になった事件

イギリスは拷問が禁止されていたので魔女裁判はすくなかったそうだ
優秀なヒーラーが多い伝統もこのあたりが理由だろう
それでも、400人から1000人が火あぶりにされたという

ドイツでは魔女裁判が多く、宗教改革のルターは魔女裁判を強く支持した
「私はこのような魔女には、何の同情も持たない。私は彼らを皆殺しにしたいと思う」ルター
「魔 女というのは、悪魔と寝るような悪い女で、人の牛乳を盗み、雷雨を起こし、山羊と箒にまたがり、マントを着て空を飛ぶ。大人が相手なら弓矢で射たり、体を 麻痺させたり、老衰させて殺したりする。乳飲み子をも激しくいたぶり、夫婦には淫乱を勧め、その他にも何でもやるのである」ルター


ジャンヌダルクも最後は火あぶり

魔女裁判で有罪になった者の財産を教会が没収するので大きな利権となり、手当たり次第に処刑が行われることになった

魔女狩りの犠牲者は200万人以上に及ぶとされている


清教徒の国アメリカでも1691年「セーレムの魔女裁判」事件があった
少女達の妄想で200名が逮捕され20人の人が処刑された

教会や宗教家が首謀者ということでもない
裁判官、陪審員、少女、一般市民など、だれもが魔女探しをした

イスラム社会にも仏教国にもない現象が、キリスト教社会にはあった


歴史を教訓とするなら、魔女裁判、異端審問は、権力者や為政者の恣意的妄想、都合で判決がくだされる

ポルポトの虐殺と同じということらしい

神の名において
カトリックよりもプロテスタントが激しかった



判断を、誰かがするシステムには、構造的欠陥がある
権威者、有識者、はたまた超能力者であれ、その判断を下す人間を検証するシステムが必要になり
つまり、その検証するシステムをも検証するという無限ループになる


「審神者がなければ悪魔がのさばるだけだ」というのも正論だが、

ここは、仏教的に

自灯明 法灯明
「自らを拠り所とし 法を拠り所とせよ」

というロジックで、世界観を組み立てるとしたら

チャネリングによる教示は全て、そこに神の啓示があろうがなかろうが、一律参考資料に止まり
判断は、つねに、自分が自主的にする以外ない


魔女裁判がいやなら、自分自身の「慈愛の感触」を頼るしかないんですよ


♪憑依を怖がるのもわかるけど、奴らは肉体はないからね それが、致命的な弱点ですよ いろんな物を見せたり、あれせい、これせい言うけど、自分じゃできないんですよ  無視されたら終わりです♪

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