2007-02-07

霊的ネットワーク

YahooにこのBlogの別館をつくったんですけど、世の中変わったなー、と思いますよ

こちら Quantum Sense

YahooのBlogであちこち読ませていただいてると、いろんな霊体験をカミングアウトして書いてる方がけっこういるんです

増えてきた、というより、人前で話すようになってきたってことかなー

坊さんの間では、昔の人の方が霊感が強かったってよく言うんです
自然の中で、自分の力だけで生きて行かなければならないですから、自然と感覚が鋭敏になりますよね

昔の坊さんは霊感の強い人はいくらもいたようですけど、今は、ほとんど見かけないです
坊さんの世界そのものでは、霊能力は必要じゃありませんしね
世襲制になってきて、特に発心しないで坊さんになる人が増えてきてるせいかもしれませんけど

それで
僕も、この世界で30年やってますから、いろいろ見てきましたけれど、気のついたことがあるんですね

それは、強い霊能力のある人はお互いあまり仲良くならない、ってことです

修学旅行で怪談話に興じる、ってようなレベルではなくて、守護霊なりに教示を受けるとか、自分なりの修行体系をもってるとか、ハイレベルの霊体験をする人のことですけどね

師匠と弟子というような関係はあるんですけど、それ以外で、なにか、共通の目的というか、価値観の共有が希薄ですね

商売なら、お金が共通の価値になって、世界のどこでもコミュニケーションできます
科学とか学問の世界なら、たとえばノーベル賞とか、世界共通の評価ができます
スポーツなんかでもオリンピックとかね

それが、まあ、高度な霊体験となると、世界共通言語というか、共通ルールはないんじゃないですか

キリスト教の伝導のような、神を知らないバーバリアンに福音をもたらす、てな感じの共同幻想の構築ですけど、霊能力者の間では世界的なミッションは皆無でしょうなぁ



夜具断片 一枚 縦45.9 横44.2
江戸後期 長保寺蔵

 表は、草花紗綾形赤綸子地に、竹の子・竹の葉模様を金糸彩糸で縫入れており、裏は、白地に宝尽し模様の入った綸子である。裏地に、「昭徳院殿御夜具之切」と墨書されており、昭徳院(13代藩主慶福)所用の夜具として伝来したものである。

後に、13歳で14代将軍徳川家茂となる。第2次長州征伐に出陣し21歳で大阪城で病没。




宗教的コスモロジーも、霊的感覚も、世界共通の普遍的価値観に、なかなかならんわけです

これは、コスモロジーは囲い込み、感覚は個人的体験という本質的限界があるからです

でまあ、これですね、ピラミッド型の人間関係を作ろうとするから、行き詰まるんじゃないかと考えてます

つまり
トップがいて、幹部がいて、中間管理職がいて、現場の職員がいる構図

簡単にいえば、トップ争いですな
コスモロジーと感覚の普遍化の行き詰まりの、本当の原因は

あー、わかりやす

心の世界の覇権争い

それで、我執というかエゴですよね
この覇権の大元にあるのは

覇権を排除した人間関係、つまりエゴの無いネットワークですね、追求すべきものは

それが、もう、あるんですね







華厳経の世界観です

インドラネット(帝網たいもう)、ですね

仏教的な説明をしてもいいんですけど
もっと、分かりやすいのは、インターネットですね
それが、いちばん形として似ている

それが、こう書くと、華厳のコスモロジーに誘導してるような感じになりますが、しょうがないね、そうなんだからそうなんです

どこにも中心が無くて、自分は自分として独自なもので、共通のプロトコルがあって、情報が共有されるネットワーク

スタンドアロンのPCがインターネットで繋がっている状態が、どうしても似てるじゃないですか


バラバラかって言うと、そうなんだけど、ネットワークは唯一の物として存在してる

ウソや作り話は、どうしても、バレてしまう仕組み


インターネットとインドラネットは、でも、絶対的に違うところが一つあります

インターネットには匿名性がありますが
インドラネットは全て自己責任で匿名性はありません


正負の法則とか、カルマとか、因果応報とか、言いますが、自分という現実から解放されることはありません

涅槃経では、それを、常・楽・我・浄っていうんですけどね
ま、仏教ではですね
常(永遠で)、楽(文字どうり、楽しくて)、我(自己は失われず)、浄(清らかである、価値に優劣はなく、正邪もなく、真偽もない)



心の世界が、激流のように、そっちに向かってるのがわかるかな・・・

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