2006-09-28

霊能力と霊格

Hieronymus Bosch
十字架を担うキリスト



光を遠くから望遠鏡で見るのが霊能力で、光そのものが霊格、とでもいいましょうか

霊能力がいくら強くても、人間性というか霊格ですね、低いこともあります
というか、まったく別の尺度です

なんだかんだ言っても、力は強いほうがいいです
それは、ただ、霊格とは違います

霊能力が横軸で、霊格が縦軸です


単純な話ですけど、望遠鏡で光を見て、光になったらどんなだろうと想像するより、光そのものになったほうがいいに決まってます

多種多様な望遠鏡を工夫して光の有効利用を考えるより、光になって実行するのが本当です
ややこしい、まじないの作法をあれやこれや学習する意欲があるなら、さっさと光に向かって進んだらいいんじゃないでしょうか

釈迦苦行像(ラホール博物館)

これはもう、先人が想像を絶する苦労をして、「学びを終えた光」になって導いてくださっているんですから、なにも、精神世界のことをあっちこっちつまみ食いして回る必要はありません
めんどくさくありません

いろんな霊的世界のことに首を突っ込むのは、特別の使命のある方ならともかく、普通の人には極めて危険で苦労が絶えない方法ですので、お薦めしません
身近な、伝統的な方法が、やはり安全です





背後に、霊能力を付けることに執着している霊がとりついている人達は、横軸のことばかりこだわって、縦軸のことは避けてとおります

神社仏閣に参拝するのもパワーを頂戴するためであって、つまり、能力強化だけが狙いです。これは、肉体を持っている者をこき使って、パワーだけ盗ろうとしてるんですね
無知なお人好しの背後にとりついて、自分達が作ったカルマの懺悔の行を代わりにさせたり、パワー漁りをさせます
よくある話です
神社仏閣は日頃の加護を感謝するためや修行のため参拝するのであって、パワースポット巡りなんてのは、仏教で言えば眷属クラスの下っ端がすることですよ


有名な霊能者でも、この手の人が多いです
インターネットであちこちの不思議系サイトを見て回ってると、知らないうちに、とんでもない霊と縁ができたりしますな
自分に取り憑かなくて、家族の霊感体質の者に取り憑くこともあります
自分で、執着が強く程度の低い霊とコンタクトするのは自業自得ですが、その霊が自分に対して愛情を持っていてくれる者に繋がることがありますね(まあ、たいてい家族ですけど)
調子に乗って、霊格を高めようとするのを邪魔しようとする奴もけっこういますね

僕もやってて感じますけど、インターネットって、けっこう直に繋がりますね


さて
横軸にこだわることは、自我の強化発展でもあるのですが、縦軸の、光そのものになるってほうが、簡単でいいと思うよ

2 件のコメント:

Anonymous 匿名 さんは書きました...

 素晴らしい考え方だとおもいます^^。
 霊能力は才能の1つであって人にはそれぞれ役割がありますからね。
 僕たちは自分に与えられた環境のなかで霊格を磨いていくべきだと思います。霊の最終目的は間違いなくその属性だと思いますし、
光と霊能は別のものだと考えます。
 こういった知識がもっと普及していくといいですね。
 がんばってください^^。

1/13/2007 07:00:00 午後  
Blogger Terra さんは書きました...

どうもありがとうございます

なにを頑張ったらいいのかよくわかりませんが(^^;)がんばりマッス

1/15/2007 04:15:00 午前  

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