2005-12-26

無償の愛

壇・戒・忍・進・禅・慧のことを、六波羅蜜(ろくはらみつ)と言って、菩薩が修業する徳目とされています

菩薩って概念は、悟っているけど、この世界に止まって、困っている人を助けている人のことです

なによりも、愛が一番大事って、腑に落ちてわかっていて、思い知っていて、迷いがない、あなた、あなたも菩薩です


菩薩にもいろいろあります

観音さんも菩薩、地蔵さんも菩薩、親切な天使も菩薩、なのですけど、
社会的な地位、肩書き、能力、性別、年齢、を問わず、愛を表現できる人はみな菩薩です


いや、それで、この六波羅蜜なんですけど、波羅蜜というのはパーラミターというサンスクリットで、渡し船・手段、というような意味です

この世界から「彼岸」への渡し船が六波羅蜜です



仏教的世界観から言うと、人間界とか、地獄・餓鬼などの霊の世界とか、どこに存在しいても「彼岸」にアクセスすることができます

貧乏はだめとか、霊感がないとだめとか、頭が悪いとだめとか、体に障害があるとだめとか、全くありません

オーラがどうでも、過去の人生がどうでも、いつでもアクセス可能です

懺悔の値打ちもない、って言葉がありますが、反省すべき事、懺悔すべき事を認識できれば、かならずチャンスがあります


「彼岸」とは「悟りの世界」のことですが、「空」とも「涅槃」とも言います

全ての存在を越えた向こう側です
向こう側であって、全てでもあります


こ ちらの世界は、あーいえばこーいう、正義があれば悪がある、愛があれば憎しみがある、得することもあれば損することもある、美しいこともあれば醜いことも ある、
相対的で無限のエンドレスゲームですが、その全てが存在する空間とでも言いましょうか、全てを見つめる智慧のある場所とでも言いましょうか、ゼロと でも言っておきましょう

これを、天国とか神聖空間とか考えてしまうと間違いで、他に比べて本質的だとかいう、比較対照できるポジションではありません
時間や空間はありません

涅槃を説明して、四徳と言って「常・楽・我・浄」とも言います


説明しようとすると、ややこしく、さっぱりわからなくなりますが

要するに、「無償の愛」、「見返りを求めない善意」です

ケースバイケースいろいろな形を取ります
「きれいな花」はあっても「花のきれいさ」だけを取り出すことができないように、「無償の愛」だけを抽出はできません


遠隔でヒーリングできるのも、さまよう霊魂が行くべき場所を知るのも、悪魔が改心するのも、五神通を体験するのも、だれでもが「無償の愛」にアクセスできるからです



ですから、「輪廻転生を長いこと続けて、かなり賢くならないと、転生から卒業しない」という考え方はしません

若い魂がどうとか、オールドソウルがどうで、とか、輪廻学習必要主義は、永遠にループから抜け出す事ができません



いつ、どこにいても、まっとうな人生を送ることができます
生まれ変わったら、行った先で、まっとうな事を続ければよろしい
無いなら無いなりに、有れば有るなりに、まっとうに生きれば済むことです

キリスト意識とか、慈悲とか、アッラーの御心とか、いろいろ言いますが、「見返りを求めない善意」を追求すれば、同じことです


六波羅蜜に話を戻しますが、

壇によって戒が生じ
戒によって忍が生じ
忍によって進が生じ
進によって禅が生じ
禅によって慧が生じる

とも言います

愛があるから、こんなことしちゃいかん、とか、これをしてあげたい、とか思い
だからこそ、がまん強く忍耐し努力し、
そこから、落ち着いた、満ち足りた気持ちが生じ
ああこれはこう、と、もっといい智慧もうかぶ、と

ただ、愛がなければ、水をやらない花のように、全てが枯れ萎れてしまいます


めぐる輪廻のなかで、「無償の愛」にふれ、「無償の愛」に感動し、「無償の愛」を行う人になる、のが、魂が旅を続ける理由なのではないですか


♪ま、仏教的考え方、ということで♪

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