2006-02-08

光の心

仏教の懺悔というのは、考え方が難しくて、身に覚えのないことも、「悪るーございました」と、あやまらなくてはなりません

それが、大乗仏教的な立場になりますが、なんか、自分を責め続けなければならないのですね

人格が完成された時のイメージが、どうにもハッキリしないのでこういうことになります
脳内イメージは否定し、捨て去られるのですから、自分を責めて反省をつづけて、きれいさっぱりになったら、それが、悟りだ、という理論ですね

向き不向きもあるかと思いますが、僕的には、イヤです

ずーっと、「オイラはアホだ、悪人だ、罪人だ」と、考え続けるのが修行ってことになってしまいます



それで、密教的な考え方ですが、修行が完成されたイメージが、ちゃんと仏や菩薩としてあります
悉地成就、という終点をいちおう決めています

ですから、拝むときは、必ず発願文あるいは誓願文を唱えますけれど、密教の念誦法には、懺悔文はありません


「無条件に全てを赦し救う心」と同化します
そして、自分も、全てを赦し救う誓いをたてます

先ず、自分を赦します
病気は、自分で自分を責めています
不幸や不運も、自分で自分を責めています

仏の「無条件に全てを赦し救う心」に手伝ってもらって、自分を先ず赦します

仏の無償の愛の心、慈悲は、つまり、「無条件に全てを赦し救う心」です

無条件に、自分を赦し、他人を赦します
それが、懺悔です




あなたが一番信頼する光に意識を集中します

リラックスして

目をつぶって

ほほえんで(大事なコツです)

無条件に全てを赦し救う心を感じながら

静かに息を吸って


無条件に全てを赦し救う気持ちで

体の力を抜きながら 息をゆったり吐きます

それを繰り返して

光だけになります




宇宙に根源なんてものはありません

唯一の創造神などいません

摂理も原理もありません

底なしの闇です


でも、その闇の中に、輝く光があります

輝く光には、心があります

真っ暗な空に、輝く光の心

その、心を感じてみてください

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