2005-09-22

神秘体験

もしあなたが神秘体験の存在を否定するなら、密教とは縁がありません。問題は信じるか信じないかではなくて、内容をどう評価するかです。

一笑に付す人も多いが、実際には多数の経験が報告されています。
ただ、神秘体験は感覚の領域の問題で、その経験はほとんど誰とも分かち合うことはできません。

結局,、ある神秘体験を説明された場合、その説明を信じるか信じないかといった問題になってしまいます。

しかしながら、体験した当の本人にしてみれば、人生の全てを変えてしまう事もあるくらいの強烈な体験となることもあるのです。

不幸なことに、神秘体験の内容について「陳腐な体験」と「至高の体験」を見分けることの出来る人はほとんどいません。
神秘体験であればミソもクソも一緒に、なんでも結構なものであると思いこんでいる人があまりに多いようです。神秘体験にはウソやギミックなどの悪意をもった体験が頻繁に起こるので、慎重に精細に検討する必要があります。

霊感や霊能力があるとしても、得体の知れない霊にチャネリングされている場合が多いのです。
また、怖い体験をしたとしても、それは霊感のせいではなく、案外自分の「業」である場合が多いのです。まるで縁もゆかりもない体験は起こらないと考えるべきでしょう。


冷たく暗い威圧感や恐怖を感じるか、爽やかで明るい慈愛を感じるか。

これは誰も教えてくれません。自分の感覚を頼らなくてはなりません。
慈悲を理解できる人でなければ神秘体験を見分けることは出来ません。


♪生き様が大事かなー♪

6 件のコメント:

Anonymous アミ さんは書きました...

こんにちは。Terraさん。

バックナンバーにはなりますが、とても共感したので、コメントを書かせていただきました。

>神秘体験の内容について「陳腐な体験」と「至高の体験」を見分けることの出来る人はほとんどいません。・・・得体の知れない霊にチャネリングされている場合が多いのです。怖い体験をしたとしても、・・・案外自分の「業」である場合が多いのです。・・・慈悲を理解できる人でなければ神秘体験を見分けることは出来ません。

さすが、プロの方だと思いました。
「一つ一つ納得!」
という感じです。
私もTerraさんが言われるように、「生き様」を大切にしていきたいと思います。

10/01/2005 03:02:00 午後  
Anonymous アミ さんは書きました...

すみません。
追伸です。
事後承諾になりますが、Terraさんの、ブログをわたしのマイ・ブックマークに入れさせていただきました。

10/01/2005 03:08:00 午後  
Blogger Terra さんは書きました...

霊能力を求めてると、低級なチャネリングがおこるようになるのではないですか

霊感てのは、まあ、自然にあるもんだとして、これも人格とはとりあえず関係なし

微力だけれど無力でもない
だれも励ましてくれないから、自分で自分を励ます
それでも、明日は明日の風が吹く、ってね

P.S.
リンクありがとー

10/01/2005 08:20:00 午後  
Blogger 邦彦 さんは書きました...

夢の中で、足場が崩れて地獄に落ちかけたときに普段信仰している聖観音様の真言を唱えても助けていただけなかったことがありました。
夢の中で、2人の旅人に拾い上げてもらったのですが。不動明王の真言を唱えたときにようやく力が入って持ち上げることができた感じでした。そのあと熱い熱いお茶、渋い渋いお茶を所望されたので、目が覚めたあともめんどくさいので目をつぶっていましたが、あまりにうるさくいうのでお茶を3つ(不動明王+2人の旅人)で出して、あとで自分の分をすすりながら考えたのですが、あれはせいたかこんがらだったのかなあと思っています。
なんで童子が夢にでたのかはわかりませんが\(^o^)/

その後宙に浮いたり光ったりしないところを見ると、陳腐な夢だったのでしょうがなんで不動本人がでなかったのやら/(^o^)\

12/31/2008 09:50:00 午後  
Blogger terra さんは書きました...

邦彦さん
コメントありがとうございます

わからないことが多いのです

ただ、その時、怖かったのか、嬉しかったのか、泣けてきたのか、崇高な思いに満たされたのか、特になにも感じなかったのか、
それが問題です

仏に会った時は、迷子が母親に出会った時のように、泣きじゃくるのです
涙が止まらないのです

それ以外はスルーでしょうね

1/01/2009 03:16:00 午後  
Blogger 邦彦 さんは書きました...

どうも、邦彦です。
足場が崩れた時は怖かったのですが、助けてもらったときは安心はしましたが、泣くじゃくるほどの情動はありませんでしたのでこれはスルーですね。

お茶をのみながら、なんか納得する感じだけがありました。
最近スピリチュアルな経験をされる方が多く、私もないわけではないのですが、魔が差すのと神秘体験との区別がつかないのがこわいところです。

やはり区別するには伝統的な日本の宗教の経験者の指導がいるのかなあとか思います(といっても在家なんで、まじめながらもなかなかであえないのが悲しいですが)

1/06/2009 09:18:00 午後  

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