12代 斉疆

 文政3年(1820)4月28日11代将軍家斉第21男として生まれる、幼名恒之丞と称す。文政10年(1827)9月清水御館を戴き同年10月15日御領地拾万石、浜町芝高田屋敷其儘拝領。同年11月23日清水御館に移られる。天保4年(1833)12月4日元服し、従三位左近衛権中将に任叙され、官内郷斉疆と称す。同8年(1837)8月23日宰相に任官。同10年(1839)11月27日近衛内大臣忠熈公姫君と御婚礼。同11年(1840)12月4日中納言に任官す。弘化3年(1846)5月8日兄斉順郷薨去にて養子となり、27才で紀州徳川家を相続す。同年7月江戸芝浦清水別邸そのまゝ拝領。同年7月26日和歌山城天主雷火にて消失。同年8月従二位大納言任叙。同4年(1847)8月天主 に多門等再建許可公儀より許され、天主再建の御用掛をきめて再建にかかる。幕府より海防の通知により海防及び文武奨励と共に領内海岸の守衛を厳重にした。安藤・水野・三浦の家老達大いに公を助けたが、隠居された治宝未だ健在にて相変ず政務に関係したので、政治思う様にならず、治績僅か3年にして嘉永2年(1849)3月1日30才の若さで薨去した。下津の長保寺に葬られる。従二位権大納言。
  法号 憲章院殿二品前亜相至徳道光大居士



木国文化財協会・会長  西本正治