7代 宗将

 享保5年(1720)2月晦日江戸青山御殿にて宗直嫡子として生まれる、幼名直松。享保14年(1729)9月28日元服。将軍家より宗の御字を賜り徳川常陸介と改め宗将と称す。同16年(1731)11月15日従四位下左近衛権中将に叙任、同日従三位に叙せられる。元文4年(1739)正月23日伏見建親王姫宮順宮と御縁組のち一條大閣兼香女愛君高子姫と再婚。同5年(1740)12月参議に任官。寛保元年(1741)4月23日御婚礼。宝暦7年(1757)8月7日38才にて御相続。藩政につとめ同年12月朔日権中納言に任官。
 仏道に深く帰依し江戸増上寺を始め高野山の諸寺院に多額の寄附を行い、財政窮迫して借財多くなり藩内の疲弊は少なくなかった。宝暦10年(1760)病に罹り江戸に溜まり6年間養生なされしが明和2年(1765)2月25日46才にて江戸赤坂の屋敷で薨去す、従三位中納言、下津の長保寺に御埋喪。
  法号  菩提心院殿三品前黄門和願愍生



木国文化財協会・会長  西本正治