第2節 工事経過

 (1)工事に至る経過

 当時の本堂は明治37年8月に特別保護建造物として指定を受けたが、以後、大正9年より10年にかけての解体修理、ついで昭和36年の台風による被害復旧工事とが行われてきたが、戦後まもなく「イエシロアリ」の侵入を受けるところとなり、さいわい寺において防除の措置がとられたため、それ以上の被害の拡大はまぬがれたものの、すでに屋根野地より小屋組、軒廻り、軸部にかなりの虫害を受けていた。
 加えて、瓦のずれなどによる雨漏れもあり、ことに正背面の中央より軒先までの間の平地瓦の陥没や、向拝軒先部の腐朽もあり、堂内に雨漏りが生じたので、このまま放置出来ない状態となった。
 長保寺においても事態を苦慮し、昭和42年頃より県教育庁を通じ、度々、葺替の請願を行ってきたが、文化庁及び県当局においてもその破損度を重視し、昭和46年度国庫補助事業とする方針を定めた。
 県教育庁においては、当時、和歌山市内において史跡公園「紀伊風土記の丘」を建設中で、同地内で民家の移築工事を社団法人 和歌山県文化財研究会が和歌山県より受託を受けて行っていたので、以後の重要文化財建造物の修理は同研究会の受託工事にする方針をとり、長保寺本堂の修理設計に当った。
 この結果、屋根葺替と小屋組、軒廻り等を含む木工事及び塗装、畳、壁、防蟻工事などの部分修理を含み工期12カ月、総工費2280万円の修理設計が樹てられたので、昭和46年9月10日付で昭和46年度補助事業費800万円とする国庫補助申請がなされた。ついで、昭和46年11月8日委保第1号をもって、昭和46年度において720万円の文化財保存事業費補助金決定通知を受けるとともに、県、町の補助金の交付をも受けることとし、昭和46年10月より工事着手の運びとなった。

 (2)工事の経過

 工事は昭和46年10月1日より同47年9月末日まで2カ年度にわたり、工期12カ月、総工費2280万円の予定で着工され、軒足場、工作小屋、事務所など仮設物建設後、解体に着手した。
 昭和46年度においては屋根より野地及び小屋の不良部分を解体し、化粧及び野物補足材の大部分を購入して、軒廻り及び小屋組の木拵え、取付等を行い、また、屋根土や壁土を練込み使用に備えた。昭和47年度事業については総事業費1480万円を計上し、昭和47年3月26日付をもって国庫補助申請書を提出し、同年7月27日付文第346の3号をもって補助金交付決定通知を受けた。
 当初の予定では、木工事においては現状を変えることなく、破損、腐朽の不良部分のみの補修にとどめる計画であった。しかし、内陣廻りの格子戸に数種類あることや、内外陣境の通り及び脇陣の旧敷居、鴨居などの旧痕跡や、寺に保存されていた当初の桟唐戸の発見に伴い資料が得られたので、この際、これら旧規の明確な箇所について復原を行うこととした。
 昭和47年5月27日付をもって、間仕切装置についての現状変更許可申請書を文化庁に提出し、同年8月10日 委保第4―5275号をもって許可された。
 一方、工事費においても、これら現状変更に伴う建具及び雑作工事の増加、その他、物価の変動、内容の一部変更などもあり、工事費に110万円の増加をきたした。
 このため、昭和47年7月31日付をもって設計変更許可申請を行い、同年9月25日、委保第71号により許可を得、別項の工事費を要して昭和47年9月末日その工事の全部を終了した。

 (3)工事工程
施工種目
着手年月日
終了年月日
工事事務
昭和年月日
昭和年月日
着手準備
46・10・ 1
46・10・20
実施図作製
46・11・10
47・ 9・10
解体調査
47・ 1・ 8
47・ 7・12
施工記録
47・ 1・12
47・ 8・21
残務整理及び精算
47・ 9・ 5
47・ 9・30
工事施工


仮設工事
46・12・ 8
47・ 1・ 6
建物解体
46・ 1・10
47・ 6・20
木工事 軒廻り
47・ 4・16
47・ 5・21
      縁廻り
47・ 5・10
47・ 5・23
      小屋組・野地
47・ 3・20
47・ 5・ 2
      雑作
47・ 7・12
47・ 9・ 6
屋根 土居葺工事
47・ 4・ 8
47・ 5・15
  同 瓦葺工事
47・ 4・ 6
47・ 7・20
壁工事
47・ 5・29
47・ 8・29
建具工事
47・ 7・10
47・ 9・20
防蟻工事
47・ 4・25
47・ 8・25
塗装工事
47・ 6・12
47・ 7・ 4
畳工事
47・ 7・ 1
47・ 7・31
防災復旧工事
47・ 7・18
47・ 8・28
仮設物撤去、跡片付
47・ 8・27
47・ 9・18