第3節 工事方針 

一、本堂は軒足場を設け、屋根替を含む部分修理とした。
一、大正9年に解体修理を受けているが、調査の結果、間仕切及び建具の一部に改変された資料を得たので、別項に示す現状変更を行った。
一、現状変更については、現状及び変更後の状態ならびに変更する理由等を、詳細にわたる説明とともに、図面・写真など規定の資料を添えて文化庁に申請し、その許可を得て施行した。
一、建物解体前及び解体中に各部の実測調査を行い、必要な図面を作製した。また同時に要所の写真を撮影して資料として保存した。
一、工事は建物解体及び木工事、仮設物撤去、跡片付を直営工事として行ったほかは、すべて請負工事として施工した。
一、解体に際しては、必要に応じて取り解き材に記号を付して順次解体し、一部腐朽材は継木、矧木を行い、再用不能な材は原形、同手法にもとずき補足した。構造上必要と認めた箇所は、外観に支障のない範囲で適宜補強を行った。
一、補修新材の化粧部分はいずれも古色塗を施し、見え隠れの小屋材および化粧材はもちろん、基礎にいたるまで入念に防蟻施工を施した。
補足材は、いずれも見え隠れに修理年号を烙印した。
一、曲線のある材、時代考証の資料となる部分、建具金具などはそれぞれ原寸図及び型板を作製し施行した。
一、屋根瓦及び野地まで解体後は、屋根全面にわたるシートで覆って養生を施し、小屋組、軒廻りなど必要に応じて部分的に修理を行った。
一、屋根瓦の不足分は当初瓦にならって作製したほか、各棟の鬼瓦は当寺の多宝塔の鬼瓦にならい全部を新たにした。向拝上の平瓦は水切溝付のものを作成し雨水の逆流に備えた。
一、東北隅の化粧隅木は腐朽と虫害による被害が大きかったが、唯一の当初材であるので小屋内で補強して再用したほか、飛擔 と向拝打越 の一部を取替え、切裏甲は隅軒の一部と妻部破風板上のもの以外はほとんど新たにした。
一、真壁は柱間壁の不良箇所は下地より新たにしたが、その他は小壁とも全部白漆喰による上塗の塗替えを行った。また、胡粉塗部分は全面的に塗替えた。
一、内陣正面の引違格子戸は、後補の腰付部分を取除き修理のうえ再用し、その他の不足分は補足した。
一、発見された当初の桟唐戸は、かなり風蝕などによる損傷が大きいので、背面と正面に各一組を再用したほかは新たにしたが、再用出来なかった建具は床下に保存しておいた 。
一、仏壇内部は隅部及び厨子柱の足元部分に虫害が認められたが、これの解体には天井や小屋組にまで影響するので、床下部分で補強するのにとどめた。
一、外陣の畳は全部新たにしたが、両脇陣の畳は撤去し後陣の仮設板張りも取除いた。
一、避雷針は屋根にかかる部分を一たん取外し、屋根替後に再度復旧した。また、火災警報器の空気管も一部切断した部分を補修し点検、整備した。
一、工事終了後、修理略記を銅板に陰刻し、来迎壁の後陣側に取付けた。
一、仮設物は使用後撤去し、跡片付、掃除など滞りなく行い、建物周辺の雨落排水溝の清掃、地盤整地などあわせて行った。
一、仮設物は使用後売却し、雑収入に当てた。