ロゴスとダルマ

2008.05.07

ファイル 111-1.jpg

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イデア:ロゴス=法界:ダルマ

またまた、なんのこっちゃ、ですけど


イデア:ダルマ=法界:ロゴス

ですね


(法界:ダルマ)=実相
です、天台学では
二分しないで、円としてとらえます

スピリチュアル:イズムではなくて

スピリチュアルな自分、とでも言うか
全体的な人格としての霊性
ま、菩薩とも言います

さて

イデアはロゴスと分離する必然性があります
イデアは認識の対象であって、認識する自分は、イデアとは別に存在します

プラトンだけではなりたたず、アリストテレスが必要になります


そこのところが
ダルマは法ですから

法界に法は含まれています
法界には「自分」と「自分以外」との分離はありませんから、時間も空間もありません

でもって、界は、金剛界の界です
この界(ダート)は舎利とも訳されることがあります
あるいは、タタギャタ(如来)ダート(界)で如来蔵ともなります
法界はダルマ(法)ダート(界)です


僕は西洋哲学は詳しくないんで、ここからは、よくわからない部分なのですが

ロゴスにイデアは含まれているのか
あるいは、イデアはロゴスを含んでいるのか

含んでいる、ということでないと
イデア:ロゴス=法界:ダルマ
の等式は成り立ちません


西洋的なものの考え方と東洋的な考え方は、案外このあたりが枝分かれした分岐点かなと、まあ、考えているところです

イデアがロゴスと分離しているということになると、イデアにはなんの制約もないことになります
つまり、合理性は必要とされなくなる
簡単に言うと、狂信や盲信もイデアなり、ということになりかねない
トップダウン宗教も成り立つことになる


法界は法と不可分ですから、それなりの合理性が必要です
実証や検証が要求されることになります

と、そんなことを考えているんですが

そう言えば、親類に田中美知太郎さんの弟子がいるなぁ


 
 
浮き世離れした話題ですが、案外、浮き世の本質なんですよね

 


 

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