

イデア:ロゴス=法界:ダルマ
またまた、なんのこっちゃ、ですけど
    イデア:ダルマ=法界:ロゴス
ですね
    で
(法界:ダルマ)=実相
    です、天台学では
    二分しないで、円としてとらえます
スピリチュアル:イズムではなくて
スピリチュアルな自分、とでも言うか
    全体的な人格としての霊性
    ま、菩薩とも言います
さて
イデアはロゴスと分離する必然性があります
    イデアは認識の対象であって、認識する自分は、イデアとは別に存在します
プラトンだけではなりたたず、アリストテレスが必要になります
    そこのところが
    ダルマは法ですから
法界に法は含まれています
    法界には「自分」と「自分以外」との分離はありませんから、時間も空間もありません
でもって、界は、金剛界の界です
    この界(ダート)は舎利とも訳されることがあります
    あるいは、タタギャタ(如来)ダート(界)で如来蔵ともなります
    法界はダルマ(法)ダート(界)です
    僕は西洋哲学は詳しくないんで、ここからは、よくわからない部分なのですが
ロゴスにイデアは含まれているのか
    あるいは、イデアはロゴスを含んでいるのか
含んでいる、ということでないと
    イデア:ロゴス=法界:ダルマ
    の等式は成り立ちません
    西洋的なものの考え方と東洋的な考え方は、案外このあたりが枝分かれした分岐点かなと、まあ、考えているところです
イデアがロゴスと分離しているということになると、イデアにはなんの制約もないことになります
    つまり、合理性は必要とされなくなる
    簡単に言うと、狂信や盲信もイデアなり、ということになりかねない
    トップダウン宗教も成り立つことになる
    法界は法と不可分ですから、それなりの合理性が必要です
    実証や検証が要求されることになります
と、そんなことを考えているんですが
そう言えば、親類に田中美知太郎さんの弟子がいるなぁ
       
      
       
      
      浮き世離れした話題ですが、案外、浮き世の本質なんですよね


