善意があるか無いか

今、膨大な数の心霊、超心理、超能力、死後生、転生、霊界などの本が出版されている。人間には霊的部分があるから興味が湧くといえばそれまでだが、不思議な体験をしたことのある人は結構多くて、ちゃんとした説明を求めているともいえる。
こういうものにハマルのは現実逃避だ、という指摘は昔からある。作り話にだんだんと念入りな尾ひれがついたと考えている人も多いと思う。科学的、あるいは唯物的な態度が発見されてから、つねに科学は非科学的なものの挑戦をうけてきた。たいていは科学が勝つのだが、たとえば、生きがい・善意・愛情・憂鬱・憎しみ、などなど非科学的分野はたくさんある。向神経薬などでかなりコントロールができるらしいが、限界はある。また、実際に不思議な経験をした人は、誰かに話すか話さないかだけのことで、経験自体を否定することはできない。
私は、この手の話は、真実と、善意の勘違いと、悪意のある作り話が交じり合った状態にあると考えている。
ヒーリングが出来る、チャネリングが出来きる、オーラが見える、未来予知が出来る、などの人がいるということだが、こういう人たちを霊能者ということにして、はたして霊能者が善意ある人かどうかということを考えてみたい。
霊能者は人間にもともとある感覚の領域が広がった状態の人達だ、とはいえないだろうか。第六感ともいえる感覚でとらえたことをネタにして宗教を考え出す人もいる。人々を救う人もいるし、だます人もいると。霊能力はつまり能力だから、それ自体に倫理的な意味は無いと考えるべきだろう。オリンピック級の身体能力があっても、人格高潔かどうかは別の問題である(立派な人が多いとは思いますが)。
自分の第六感で感じたことを説明するとき「えもいえぬ」とか「筆舌に尽くしがたい」とか言わなければ、その人は知っている限りの世界観で自分の経験を説明しようとする。したがって文化的背景が、たとえば一神教的か多神教的かで物語りはかなり違ったものになる。感覚というものはもともと主観的なもので、同じ気温でも寒いと感じる人もいれば暑いと感じる人もいる。第六感で感じたことの説明は、同じことを経験していても内容が違ってくることがあるということになる。食べ物の好き嫌いと似ている。霊能者の話を色々聞くよりは、自分の第六感で直に経験するのが一番手っ取り早いとは思う。
皆さんの第六感が開発されてくれば、自然と嘘は淘汰されるでしょう。
で、私は霊感のある人は霊感を大事にしてお暮らしになったらいいと思いますが、そんなことより善意があるか無いかの方がより大事だと思っている。霊感に程度の差があって、まるで「ゼロ」から「凄く強い」までの人がいるとして、その人達が善意を追求して生きるのか、ボンヤリと流されて生きるのか、悪意を隠して生きるのか、が大切なとこだと思う。
それはまた自分自身のことでもある。霊感を追求するのと、善意を追求するのは別の問題である。宗教ということで言えば、カスを取り除いて煮詰めて蒸留して結晶として取り出したのが、「善意の追求」ということになると思う。
来世があると、ありとあらゆる傍証を挙げても、死んで見るまで結論はでない。どんな聖者とつきあっても、三度の飯は自分で食べなければならないし、かわりに便所にいってくれるわけでもない。至れりつくせり何不自由なくても、「生きがい」だけは自分で探さなければならない。
それにしても、誠実で一生懸命な霊能者の方々のことを思うと、私なんぞ住職をやってられませんわな。「善意に満ちた霊能者」、こりゃもう鬼に金棒です。ただ、実際とんでもない勘違いした奴が多いということでね。皆さんも、能力というのはわかりやすいんですが、善意というのはなかなかわからん時もあるので慎重にお願いします。
どうやって見分けるかって。そりゃ、あなたの人生の年輪で感じるしかありませんよ。


2004-01-30


カルマは「お金」のようなもの

カルマの問題は奥深く難しい。カルマはある、ってことにすると、良いカルマを溜め込もうって動きが出てきて、それがかえって我執を増長する。せっせと良い事をするのだが、自己にたいする執着は益々強くなる。カルマは無い、ってことにしたら、説明のつかない事が多すぎる。
カルマは「お金」のようなもの、てのはどうだろう。溜め込んでリッチになるのは結構だけれど、ガリガリ亡者はいやよって。貧乏もそれなりに楽しい。「お金」はいらないって偉そうに言うけど、ほんとにこだわりが無いなら、どんなに「お金」があっても平常心でいられるし、無ければ無いで気楽だよってね。
「お金」はあるに越したことはないが、大事なのは「稼ぎ方」「使い方」だろうね。まあ、生き様ですね。生き様が真っ当なら、自分だけでなく回りの人も幸せになる。そこが天国か地獄か、ってことより溌剌と充実して生きてるかってこと。いつでも稼げるってわかれば、「お金」なんか無くても平気。でたらめしなきゃ、心配しないでも自然と天国に行けると思いますけどね。
失敗や間違いはよくあること、悪気がないなら反省してやりなおせばいい。悪事が露見したということならば、それなりに学ばなければならない、ということですよ。どっちにしても、今ある環境から学んで、良いほうに向かおうとしなければ行くあてがない。


2004-01-21


イラク

国連決議無しで始めた戦争。大量破壊兵器は出ず。戦争終結宣言から後の戦死者の方が多い。そこへ、「安全な地域」と言う理屈でまともな交戦規定の無い自衛隊が行く、、、、、、、、と。戦争は終わっているって勝手に言ってるけど、向こうはまだ聖戦継続中よ。
知ってますか、自衛隊の危険手当、日額3万円で志願をつのり、志願が集まったところで2万4千円に減額した。敵を欺くには先ず味方から、ですか。大量破壊兵器の証拠を見た、ってあたりから嘘が始まっていたんでしょうな。
日本の安全のために自衛隊は必要だと思ってますが、日本の領土から出たところで活動するなら国連決議に従うべきだよ。まだ、憲法9条があるんだから専守防衛じゃなかったの?屁理屈にもならんような理屈を積み重ねて、戦争に突き進むわけね。世界中に大量にある戦争の道具のことを考えたら、こりゃ-いずこの国も、いずれ全部持ち出して使うんでしょうな。とにかく戦争を放棄したって言ってる国でさえ、もっともらしい理屈つけて戦争始めるんですからね。戦争を放棄してない国は戦争始めて当然だわな。
あーあ、これで日本の憲法などだれも信用しなくなるだろう。
日本は国連の枠組みを尊重する
敵国条項をはずして常任理事国になったら国連軍に参加する
国連決議が得られれば憲法の範囲で自衛隊を出す
これじゃだめなんかね。どの国も国連を無視するようになったら、いずれハルマゲドンになるよ。


2004-01-21  


メッセンジャー ストロヴォスの賢者への道


面白かったー一気に読んでしまいました。
この人本物よ。うーん不満を言えば、仏陀の涅槃を「無」だということにしていますが、仏教を知らない読者のために説明しときますけど、涅槃のことを書いてあるお経である涅槃経のテーマは「一切衆生悉有仏性(すべての生きとし生けるものには仏となる性質がある)」ということと「如来常住(仏は不滅である)」の二つなのです。「無」は書かれていません。また「常・楽・我・浄」を涅槃の四徳と言います。誤解無きように願います。まさか、これも誤訳にされちゃうの?キリスト教文化圏の人とかニューエイジとか言われる人は、どうも仏教について無知な人が多いのが一般的な特徴ですね。幸か不幸か、仏教を知悉していてコケにしてる人はいませんな。知らんとイメージだけで評価してる。
それはさておき、あーこの人、生きてたら会いたかった。日本は面白いところだから生まれ変わってこないかな。密教についても学べるよ。天台は釈尊起源の密教で、真言は弘法大師起源の密教になります。天台は仏教全体の流れの中で密教のイメージがつかめますが、話の合う友達がいるのは真言かもね。
人は皆、神への道を歩まないと、苦痛から開放されることはないのですが、ヒーリングという行為は最終目的と言うよりはその道程の一部でしょうね。とは言え、ダスカロスにヒーリングが無かったら、彼の世界観や教説はただの妄想としか思われなかったでしょうけどね。弟子の人たちはがんばって教説を伝えていって欲しいです。しかし、ヒーリング無しでどれだけ教会の権威に立ち向かえますかな。難しいところです。
「祈祷師の狂い死に」って言葉があるんですが、生半可な祈祷をしてると、終いに発狂するか奇病にかかって死ぬことがあるんです。皆さんは本を読んだ位で簡単に真似できると思わないほうがいいよ。


2004-01-19


蛇にピアス 蹴りたい背中

蛇にピアス蹴りたい背中ですか。
新感覚新しい感性ですよね。
オッチャンみたいにくたびれてくると、こう、どうも誰もやらなかった題材の新感覚ってのは食傷気味なのよ。やっぱり閉塞感はそのまんまですね。「あ、そ」てな感じでね。
トム・クルーズがラストサムライでリスペクトをテーマにしたけど、あーゆーのは日本にはないな。感覚・感性だけじゃ人生をつき動かすような感動には出会えないんじゃないの。衛星誘導の兵器で世界史を力ずくで塗り替えちまえって時代に、日本人のチマチマした感覚には笑えてくる。
砂漠の真っ只中で一人ぼっちになってどっちいくべえかって時に、手のひらの指紋の陰影を耽美するって趣ですかね。


2004-01-18    


エソテリック・プラクティス

仏教の欲界・色界・無色界によく似た概念があるんですね。瞑想してると同じようなことを感じるのかな。東洋の瞑想についてはあんまり知らないみたいですけどね。
密教から見れば、この人のやりかたは素朴で実践的な技術ですね。でも、チャクラについては密教ではあんまり言わなくなってしまったんですよ。自分の肉体的な力を、神秘的な力の源泉のように扱うようになってしまうんで、ま、我執というアリ地獄にはまってしまうのですな。イメージを作る前に、イメージが神の御心から生じるように、って祈りを入れたらいいんじゃないでしょうか。この人天才だからいちいち書かなかったんでしょうね。
宗教の理論というのは反論されないように飾り立てて、細かいところも辻褄があうようにして、いずれ真実とかけ離れた空想的でややこしくて陳腐なものになってしまうもんですけどね。こういう実践主体の人にしては理論的なことを色々考えているほうですね。それにしてもこの人、よっぽど前世で腐った宗教家をたくさん見たんだろうね。ご苦労なことです。
なんの話かって。
ダスカロスのエソテリック・プラクティスです。
メッセンジャーはこんど読むつもりです。
それから一言。
無償でヒーリングしたって経歴の部分でたびたび強調されてますが、あんまりこだわってると怪しまれるよ。あなたも明日から無給で働いて、善い事したつもりになったらどうですか。イチローや松井は高いギャラとってるけど、彼らは卑しい人間?心臓移植の手術に金がかかるってよくカンパするけど、医者が手術するのに金がかかるのはとんでもないこと?大きなお寺が拝観料とってますが、文化財の維持に最低限の平等な負担を求めるのは許せないこと?善い事したって、金のかかることはいろいろあるのですよ。ガンジーの説教聴いたら、聴衆は身に付けていた金銀や宝石などの装身具を全部ガンジーに布施してしまったそうですけど、ガンジーは聖者失格?変なたとえかな。


2004-01-15   


サプリメント

サプリメントをかなり研究してる。研究といっても動物実験を繰り返してるのじゃありません。本をそうね40冊位読みましたかね。朝鮮人参がいい、プロポリスがいい、アガリスクがいいとか色々あります。それぞれごもっともです。で、私がたどり着いたのが分子栄養学。何じゃそれは?ってですか。三石巌ってご存知ですか。Amazonなどで検索してみてください。パーフェクト・コーディング理論とカスケードモデルが理論の骨格です。パーフェクト・コーディング理論とは、細胞なり内臓に必要な栄養素を完璧に補給すれば、完璧な健康により近づくという考え方です。いろいろ食べているようで、健康にとって本当に必要な栄養素が十分摂取されていないので、これを補えばヒトのDNAの限界である120歳位までは無病息災に暮らせるということなのです。カスケードモデルとは必須ビタミンなどを摂取した場合、一番必要なところから徐々に使われて、いろいろな効用をもたらすが、摂取量が少ないと全部にいきわたらない、といった考え方。ここらへんがつまりメガビタミン主義のよりどころとなるわけです。どうせ副作用がないなら目いっぱい摂取しとけ、と。ガバッと必須栄養素を補給しとくと、体質や遺伝の違いを超えて、DNAの限界性能が引き出せるというわけです。
研究するようになったきっかけは、身の周りの人で中年過ぎに突然死する人が多いのですよ。頑健な人がね。これは、いくら拝んでも全く無力ですね。死を受け入れなさいとか、そういう方向にいくかというと、まあ、そんな簡単に死ぬわけにはいかないでしょ。知ってると知らないとでは、そうね、肉体のパフォーマンスが10%から20%は違うのじゃないですか。
ああ、ですから精神的に不安定だとか気が滅入るとかの場合は、まず十分な栄養が摂取されているかどうか疑ってくださいね。


2004-01-14  


ラストサムライ

下の子と、マレーシアの子と三人でラストサムライを見に行った。すんげーお寺が出てきて、まさかこれもセットかよと、ハリウッドに肝を潰したが、あれ書写山なのね。納得。アカデミーとったら、レセプションをスター総出で書写でやったらいい。
ちなみに書いときますが、書写の開山は性空上人、うちも伝説では性空上人開基なのです。トム、次はうちでロケしろよ、待ってるぜ。
マレーシアの子も感動してたよ。トムありがとう。


2004-01-09  


勘違い

国宝など指定文化財があると、なんでも行政が面倒見てくれていると勘違いしている人が多い。
文化財所有者は公務員じゃありませんから、お金を貰おうと思ったら大変な努力をしなければならないのは、皆さんと同じなんです。すべての関係する行政担当者に陳情を繰り返し、時には知事や町長に直接陳情もします。行政の担当者は担当者で、内部の稟議を通すのに、これまた大変な努力を重ねるわけです。補助金を貰うと一口に言いますが、つまりは税金の分配の取り合いなわけで、道路を作るか学校を直すのか文化財を保存するのか、せめぎあいは常にあるわけです。文化財保護法という法律がありますが、これは「補助金を出すことができる」という法律で、自動的にお金を貰えるわけじゃありません。自分のお金で修理するといっても、国宝の場合は文化庁長官の許可がないと修理事業はできません。なかなか一筋縄ではいかないんですよ。


2004-01-07   


ホームステイ

今、マレーシアの17歳の男の子がホームステイに来ている。マレーシアの子はこれが二人目。ペルーの大学生。ロシアの女の子もホームステイしたことがある。
みんな英語が上手ですね。これからますます国際化が進むでしょうし、社内の会議を英語でやるところも増えてきているけど、日本人の英語は相変わらずお粗末ですわ。日本の英語教育っていったい何を目標にやってるのかね?大学受験ですか?大学行くのは何のため?先生方は生徒にちゃんと使える英語を仕込んで送り出してくださいよ。
まあ、日本語でもちゃんと挨拶できないのがいるんだから高望みかな。


2004-01-05


 

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