はじめに

 長保寺の創建は、平安時代、藤原文化が花開いた長保2年(1000)一条天皇の勅願によるものである。時移って慶長5年(1600)浅野家によって保護され、つづいて元和5年(1619)徳川頼宣が紀州藩主として入国以来、徳川家廟所に定められ、三百年近くにわたって庇護されてきたものである。
 約3ヘクタールに及ぶ欝蒼とした森林を開いてつくられた廟所は、みだりに斧を入れられることを禁じ、歴代藩主ならびに夫人の埋葬が行われてきた霊域であることは勿論、他に例を見ない石造文化財の遺産でもあるということができる。
 しかし、この廟所も廃藩後は、紀州徳川家から長保寺に対する保護は思うにまかせず徐々に微力なものとなり、それさえも現在では全く期待できない現状にある。巨大な30基に及ぶ碑石、330を数える各廟前の献灯を擁するこの霊域も梢を払う落ち葉に埋められ御廟深く訪う人も少なく全く寂莫の情禁じ得ないものがある。
 このたび、廟所に眠る歴代藩主の生存中の生いたち、治績、逝去の事情等の一端をまとめるとともに谷山教育主事の協力を得て各碑石の規模、形態、献灯数などの調査も行ったが紙面の都合上その一部を示すほかはない。
 今回のまとめは、町民の文化遺産をあらためて見直すためにボランティア事業の一環として実施したもので、可能な限り写真収集を行い理解を容易にするための努力をしたつもりであるが頁数等の制約もあり決して意をつくしたものでなく中途半端なものであることを反省している。
 この冊子が、長保寺・並びに御廟の現状を知るとともに、これをよりどころとして歴代藩主の治績の一端をも知り、ひいては下津町を理解し、親しみを増すための一助となっていただければ幸いである。

平成2年3月


社会教育指導員    松江 繁広