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  1. DEC
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    紀伊徳川家藩主廟所

     

    紀州徳川家歴代藩主の御廟が、長保寺本堂裏手の山腹に、約1万坪の広さで展開しています

    藩主廟所としては全国一の規模です

     

    紀伊徳川家 初代藩主 徳川頼宣(とくがわよりのぶ)御廟(1602-1671)
     

    和歌山藩主徳川家墓所

       国指定 昭和56年5月28日

     長保寺は一条天皇(986~1010)の勅願によって長保2年(1000)二品性空上人が七堂伽藍を創造し、長保の年号を賜り寺号にしたといわれている。
     現存する国宝建造物の建立年代からみて、鎌倉末期には現在の伽藍は完成していたとみられる。
     宗派の異動はたびたび行われていたが、寛文6年(1666)徳川頼宣の菩提所となるとともに天台宗に改め現在に至っている。

     

     
    史跡和歌山藩主徳川家墓所は、このように長保寺が11世紀以来の地方有数の名刹であり、加えて紀州藩主歴代の墓所としてその規模が大きく墓碑や石燈篭とともに墓所を造成する石垣等壮麗豪華な石造遺構は全国的にも近世大名墓所の代表的なものであり、江戸時代の墓制葬制を知る上から貴重な遺跡としてその価値が認められたものである。
     歴代藩主のうち、五代吉宗と十三代慶福は将軍となったため墓碑がない。
     墓所の参詣堂は大門からすぐ東の小高い処に御成門があって御廟所門まで200メートルばかり坂を登り、長保寺本坊に付属する御霊殿の後方に墓所を築いている。
    山の東南傾斜面一帯に点在する墓碑は28基で、そのうち12基が藩主の墓碑で、他は藩主の夫人や子息等のものである。
    傾斜を切り取り石垣を築いて墓所を造成し、玉垣で囲い、石門を建て、330基に及ぶ石燈篭などすべて石材は花崗岩を使用している。12基の石碑の型式は5つの型に分類できる。
    塔身の無銘の石塔は一朝有事の際の処置として墓の後方に井戸を掘り、これに石碑を埋めるしかけになっていたと伝えられる。
     下津町は、この境内に歴史民俗資料館を建設し、この由緒深い名刹の文化財とともに地域の文化財保存に努めている。
    この史跡徳川家墓所も歴史の散歩道として広く一般に紹介したいものである。


    清文堂「和歌山県の文化財 第2巻」から

    長保寺絵図面(廟所絵図)  海南市指定文化財

    一幅 紙本著色 縦191.7 横214.2   江戸中期

    陽照院(現在の長保寺)の、伽藍および紀州徳川家の廟所・墓地を描いた資料である。近世の長保寺寺領については、慶長6年(1601)に浅野幸長が浜中上村の5石を寺領としたのち、寛文12年(1672)に徳川光貞から500石を加増されている。本図はその際に確定された、境内と墓地について描いたものである。藩主の墓が深覚院(第4代藩主頼職)までしか書かれていないことから、本図が作成されたのは吉宗もしくは宗直の藩主時代のことであると考えられる。江戸時代中期の長保寺の伽藍・廟所の状況を知る上で貴重な資料である。
     
    和歌山県立博物館「吉宗と紀州徳川家」より
     

    墓石に墓碑銘が刻まれていない? 


    和歌山藩主徳川家墓所

       国指定史跡 昭和56年5月28日 

    指定理由 紀州徳川家歴代藩主の墓所で、規模と豪華さから近世大名墓所の代表的なもので、墓制、葬制を知るうえで重要
       面積 43,597㎡
     和歌山藩主徳川家墓所は、和歌山県有田市の北、海草郡下津町の長保寺にある。
     元和5年(1619)に徳川家康の第10子徳川頼宣が御三家の一人として55万5千石を領して紀州に入国し、幕藩体制の要のひとつとなった。寛文6年(1666)に頼宣は熊野巡見の帰途、古刹の長保寺の立ち寄り、この地が三方を山に囲まれ、下津湾を見渡せる景勝地であり、また、要害の地であることに着目して菩提所と定め、翌7年に仏殿を建立し、伽藍の整備を行った。頼宣は寛文11年に死去したが、遺命によりこの地に葬られ、以後、徳川宗家を継いだ5代藩主吉宗(8代将軍)と13代藩主慶福(14代将軍家茂)を除いた和歌山藩歴代藩主と、その夫人や子息の墓所とされた。

     長保寺は寺伝によると一条天皇の勅願寺で、長保2年(1000)に二品性空上人を開基とし、年号を賜って寺号とし、往時は七堂伽藍、子院12か坊を有した壮麗な寺院であったといわれている。その後、延慶4年(1311)に現在地に移転し、本堂、多宝塔、鎮守堂を建立し、嘉慶2年(1388)に大門も再建され、ほぼ現在みられる寺観に整備された。
     境内は南へ傾斜する山腹に位置し、小畑川の辺りに大門を整え、その北方150mの上壇に本堂、その南東に接して多宝塔、その北方の山腹に鎮守堂、本堂東南部の中壇に霊殿、本坊などを配置し、墓所は霊殿の北東の急峻な山腹に位置する。
     本堂、多宝塔、大門は国宝に、鎮守堂、絹本著色仏涅槃図は重要文化財に、紀州藩霊殿、客殿、木造阿弥陀如来座像、林叢は県文化財に指定されている。町文化財に指定されたものも多数あり、境内一円が文化財となっている。また、墓所のみでなく、これらの境内地およびその背後地の山林も含めた広大な範囲が昭和56年に史跡に指定された。
     本堂は桁行五間、梁間五間、入母屋造り、向拝一間、本瓦葺きの建物で、入側三間四方を内陣とし、後端の中央に須弥壇・厨子を置いており、内陣正面の一間通りを外陣、他を脇陣と後陣に区画している。側回りの開口部は少なく、入側四周は引き違い格子戸と菱欄間で区画して閉鎖された空間を造り出し、密教系仏堂の特色をよく表している。また、側回りは和様、入側は禅宗様として意図的に内外を区分し、全体として折衷様の建築となっている。中世の仏堂は外陣奥行を深くする必要から通常二間とするが、この本堂は外陣を一間としながらも、奥行を確保するため、四支分を広くし、柱間に架けた繋虹梁に三斗を置き、隅木を真隅に入れ、小天井をも付け処理する。この手法は紀州における中世仏堂の外陣空間の架構構造に多用されたものである。多宝塔は三間多宝塔で、裳階は支輪付きの出組、身舎は四手先の和様とし、内部は四天柱を建て、二重折上の小組格天井としている。塔身は小さく引き締まった良好な多宝塔である。大門は入母屋造りの三間一戸楼門で、腰組は三手先、上層は尾種木入の三手先  とし、和様を基調とするが、細部に禅宗様を採り入れた重厚な楼門である。
     寛文7年に建立された仏殿は、その後、位牌堂にあてられ、紀州藩霊殿として指定されており、寄棟造りの妻入りとする珍しいものである。奥の霊室には一間厨子を置いて歴代藩主の位牌を、手前の霊室には二基の厨子を置いて正室・側室と、その子息の位牌を祀り、墓所と一対をなす貴重なものである。
     各墓域は急峻な山腹を削り、城郭の石垣と見まがうばかりの砂岩の石垣により、上下壇を作り出している。上壇の中央には花崗岩の広い基壇を築き、四周に瑞垣をめぐらし、正面中央に廟門を構え、基壇中央に墓碑を建て、その背面には5本の木製卒塔婆を挿入できる穴をうがち、上壇の正面にも瑞垣を建て、下壇と区画している。下壇は参道より高い石垣で区画され、正面中央に石階段を設け、一間の門を構え、さらに上壇まで砂岩製石畳の参道がつづき、上下壇の正側面には多数の大きな灯篭を置き、この形式を基本形としている。
     墓域の設定・配置については、全体として規則性はみられない。しかし、2代と8代、3代と9代、11代と12代の墓所は、同一の上壇に、それぞれの基壇を並立して建て、下壇を共用し、石畳参道は中央に位置しており、後世に改修された可能性が考えられる。
     墓碑を形式によって分類すると、無縫塔は1、6、7代、角柱(棟型角柱を含む)は2、3、4、9、14、15代、八角宝塔は8、10、11、12代になる。墓碑銘については6代まではすべてを無銘で、7代からは正面に院号と両側面に没年時を刻んでいる。
     この墓所の建立および修理にかかる史料はないが、「長保寺古図」には下壇の正側面に土塀を築き、正面中央に一間向唐門を、中央に桁行三間、梁間二間、入母屋造りの参篭所とみられる建物をもつ墓所が描かれている。この古図には4代までの墓碑が描かれていることから、宝永2年(1705)から宝暦元年(1751)の間に作製されたものとみられ、往時の姿を知ることのできる貴重なものである。
     この墓所の本格的な保存修理は実施されておらず、調査および修理が望まれる。


    同朋社「図説 日本の史跡 8」 山本新平



    御廟所普請の御用石

     長保寺の霊域には歴代の藩侯の廟が並んでいる。この廟に使用されている石材はどこから割り出され、どのようにして運ばれてきたのか明らかにされていない。尾鷲組大庄屋記録の『御用留』(三重県尾鷲市市立図書館所蔵文書)によると、宝暦8年(1758)に、奥熊野郡尾鷲組梶賀浦と曽根浦の山から切り出されたことが記されている。その記録にはだれの墓の石材であったか記されていないが、6代藩主宗直の歿年が宝暦7年2月であり(『南紀徳川史』巻之十二)、たぶん宗直(大慧院)のものでなかったかと思われる。
     「浜中御用石割り出しならびに海士郡下津浦へ積廻し候儀につき、添奉行中より別紙のとおり申し来り……」という書状が、戸田孫左衛門から届けられている。そして曽根、梶賀浦へは、戸田孫右衛門、服部八郎右衛門、和田伊右衛門の3人の役人が出張してきた。この役人から尾鷲組大庄屋や両村の村役人へは、用石の割り出しについての指示があった。「諸職人御用人足ならびにお調物船などの儀につき、ご用がかりの役人より申出次第あと方の趣をもってさしつかえこれなきよう…」とある。この時に鍜治吹子一組が必要であって、石屋六兵衛より借用していた。また石材の輸送についても「大切なる石の儀に候へば、積舟の儀ずいぶん吟味致され、慥なる船を選び相廻り……」とあって、下津浦までかなりの遠距離輸送になるだけに、「もし時気などの節はご用船気をつけ湊より船を出し候よう浦々庄屋どもへ申しつけ」というおふれを紀伊半島の浦々の庄屋たちへも出していた。 
     ついで明和2年(1765)5月にも曽根、梶賀両浦でご用石が割り出された。これは菩提心院(7代宗将)のご墓所の普請に使う石材であった(尾鷲組大庄屋記録)。宗将は明和2年2月26日に江戸赤坂邸で逝去した年46才であったが、3月2日に江戸谷中感応寺で火葬し、11日に柩が江戸を発して長保寺で埋葬している(『南紀徳川史』巻之十二)。「浜中長保寺、菩提心院様御廟所御普請御用の石、奥熊野曽根梶賀浦山にてこのたび割り出し申す筈につき、別紙の役人、近々彼地へ差遣候」とあって、菩提心院の御墓所普請がはじまった。
     大庄屋や村役人、また石材の割り出し作業に参加する諸職人へ入山の申つけを行った。和歌山から両浦へ役人が出張していた。
     ご用石は下津浦まで積み回すために紀伊半島の沿岸の浦々すべて厳重な警戒のもとですすめられた。ご用石を運んだ回船は、大川浦の専蔵船、林太夫船、彦三郎船と、梶賀浦の嘉右衛門船、五左衛門船などがあった。ご用石の船積みが終わって出帆がなされる時に、曽根浦、梶賀浦より各浦々へ回状が発せられた。「船数も有之候事に候へば、猶おのおのより船手をも吟味手を詰め、運賃銀の儀は申すに及ばず、そのほか万端申あわされ……」とあって、それぞれの運送回船へ対する要望もきびしかったと思われる。ご用石の運搬はこの年の7月ごろ行われており下津浦まで届けられた。そこから長保寺までを運んだのであるが、加茂組の農民が負担することが多かったのではなかろうか。


    下津町史 通史編より

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  2. DEC
    8
     

    長保寺 参道の紅葉

     
    平成27年12月8日の長保寺参道の紅葉の様子
     
     
     

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  3. DEC
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    大門 夕景

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  4. DEC
    6
     

    長保寺 本堂内陣

     

    長保寺 国宝 本堂(1311)

    本尊 釈迦如来
    右脇侍 普賢菩薩 像座
    左脇侍 文殊菩薩 獅子座

    右前立 毘沙門天
    左前立 広目天

    長保寺の本堂は
    一般の参拝者が座る前側外陣(げじん)
    特別な参拝者が座る左右の外陣
    僧侶と法要出仕者が座る内陣
    本尊の裏側の裏堂
    に仕切られています
    鎌倉時代の密教式建築では一般的な間仕切り方法です

    本尊は特注のLEDライトで照らしています
    光の色温度を蝋燭の光に近づけてあります
    厨子の中の仏像が明るく見えることは、いままでありませんでした

    内陣の照明もすべてLEDライトです
    LEDライトは、紫外線が出ず、熱を持たず、省電力なので、これからお堂で広く使われるようになると思います

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  5. DEC
    4
     

    長保寺 国宝 大門

    長保寺には、本堂、多宝塔、大門と三棟の国宝建造物があります
     

    本堂・塔・大門とそろって国宝である寺は奈良の法隆寺と長保寺だけです

    この大門よりも仁王像のほうが古いことが確認されています

    慶徳山 長保寺
    紀州徳川家の菩提寺になってから藩祖頼宣が李梅渓に命じて模写させた扁額が架けられている
    付帯指定の扁額(1417)は収蔵庫に収められている

     

    長保寺大門  附 扁額
      国宝 明治33年4月7日指定

     三間一戸の楼門で屋根は入母屋造、本瓦葺である。
     大門は寺蔵の棟札写に記される「再営由来」によって、嘉慶2年(1388)に後小松天皇の勅宣をうけ、寺僧の実然が同年に建立したことが知られる。 縁起にはこの造営の大工が、藤原有次と記されているが、記録抜書では本堂造営の大工も同人の名が記されており、同一人とすると年代が異なり不審である。
     現在、門には扁額が掲げられているが、この扁額は紀州侯の菩提寺になってから藩祖頼宣が李梅渓に命じて模写させたものであり、当初の扁額は宝蔵に収納されている。記録によれば扁額は、妙法院二品親王尭仁の真筆と伝え、裏書に応永廿四年六月一日の刻銘がある。
     額には慶徳山長保寺と二行に分ち書されているが、当初は長保寺の三字のみ同様の書体で記されていたような痕跡が認められる。額面には鋲止めの痕があり、旧文字も風蝕差からどうにか辿り得る。
     大門は元和7年(1621)に塔頭最勝院の恵尊が修覆、さらに天和3年(1683)2代藩主徳川光貞が修理を加えている。それ以来紀州徳川家によって、明治まで維持修理が行われていたようである。
     この大門は形態のよく整った点においては代表的な楼門の一つである。
     組物はもっとも正規な三手先で、3番目の斗 は尾 の上にのり、軒を受け、丸桁下に軒支輪をかけ小天井を造っている。
     建物は和様を基調とした形でその細部も本堂、多宝塔に及ばないが、室町時代初期の特徴をよくあらわしている。
     長保寺の入口に立つ姿はよく整い楼門中の傑作の一つである。
     明治43年に解体修理が行われており、記録の不備から修理関係の詳細は明らかでないが、現状をみると、組物、軒廻りに当時の補修材が多数認められる。 

    清文堂「和歌山県の文化財 第2巻」より

     

    長保寺の大門について

    和中光次   (和歌山県文化協会連合会・会長 平成7年当時)

     NHKの大河ドラマ“八代将軍 吉宗(平成7年)”の放映で、長保寺も表舞台に躍り出ました。しかし、紀州徳川家の菩提寺という側面だけが、強く表に出ているような気がします。
     長保寺は、そのように歴史の新しいお寺ではありません。ここに取りあげた大門はもとより、本堂・多宝塔というお寺にとって重要な建物が、そろって国宝に指定されているのです。このようなお寺は、奈良の法隆寺しかありません。建造物からみる限り、古代寺院の代表が法隆寺であるならば、中世寺院の代表は長保寺といえましょう。しかも、古代の律令国家の富と権力を背景にして成立した法隆寺と異なって、地方の経済力と文化を基に造立された長保寺の持つ意義は、非常に大きなものと言わねばならないと思います。
     長保寺の草創は、古く平安時代にさかのぼります。寺伝によりますと、一条天皇の勅願によって、今から995年前の長保2年(1000)造営に着手し、寛仁2年(1017)完成した古いお寺です。宗派は法相宗、天台宗、真言宗、そして再び天台宗と変転していますが、鎌倉時代に栄え、現在残っている伽藍も大部分は、この頃の建築で、江戸時代になってから徳川頼宣が紀州藩主の菩提寺にしたのです。
     長保寺の大門は、南北朝時代の嘉慶2年(1388)―北朝年号、今から607年前―の建造であることが棟札(写)で明らかになっています。正面からみると、三間一戸の楼門で両側に仁王像があり、屋根は入母屋造、本瓦葺で堂々とした風格を持ち、歴史の古い長保寺にふさわしい大門であると言えましょう。江戸時代、何回かの修理を重ねてきたようですが、整った和様を基調とした姿をよく残しています。
     長保寺は、境内の全域が国指定の史跡ですが、紀州徳川家の墓所の整備のみでなく、伽藍の復元整備も極めて大切です。大門の屋根の葺き替えも必要な時期に来ています。郷土の文化財の保護に心を寄せたいものです。

    木の国 21号 平成7年4月1日

    長保寺木造金剛力士立像像内納入文書断簡
    大門の仁王像が弘安9年(1286)の造営であるという文書が確認されました。大門よりも古いことになります。建立年代がはっきりした鎌倉時代の仁王像は、たいへんに珍しいものです。

    長保寺大門解説

    Youtube「NHK大河ドラマ」八代将軍吉宗 完全版

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  6. DEC
    2
     

    室井滋さんからお歳暮

    例年のお歳暮です

     
    今回も、作りこまれた珍しいものです
     
    箱が2つあったので、なにかなと思いました
    雲シリーズと花シリーズをお送りいただきました

     

    手漉き和紙に型押しです
     
     
    栞つきで、表紙を挟んでカバーを被せられるように、手の込んだ作りです
     
    いつも、ありがとうございます
     
     

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  7. NOV
    30
     

    国宝本堂、多宝塔

     

    長保寺本堂   附 厨子一基

     
       国宝 明治37年9月29日指定

     桁行五間、梁間五間、一重入り母屋造、向拝一間、本瓦葺の建物で、長保2年の草創以来、度々の再建をうけてきたが、現在の本堂は延喜4年(1311)の建立になるといわれる。
     天和3年(1683)の記のある「長保寺記録抜書」には「一、長保寺古書ニ云 長保寺棟上延喜四年辛亥五月五日 大願主僧承禅律師印玄并衆徒等僧浄明氏人等 大工藤原有次」と記されている。以後、近世まで数度の修繕があったと思われるが、記録を欠き、寛文6年に紀州徳川藩主頼宣公が帰依され、菩提寺となるまで何の資料も見られない。
     「当山諸堂絵図面」には「寛文七丁未年十一月徳川頼宣修繕之以来御一新迄徳川家ヨリ修覆仕候」とあるので藩主の保護を受けるようになった寛文頃までは、かなり建物の破損があったと思われる。この寛文の修理はどの程度であったか記録がなく、また大正9年の修理でかなり復原されたため大正の補足材も多く、詳しく知る事はできない。しかし、現在使用されている向拝頭貫は、その絵様、繰型よりもこの折のものと思われる。
     堂は方五間で、柱頭の粽及び組物の笹繰り、拳鼻など唐様の手法をとりながら、出入口の幣軸構え、連子窓、組入天井、吹寄せの菱格子、扠首組の妻飾りなどは和様の手法によっている。すなわち二つの様式を融和混合し、しかも独自の計画と好意匠に成功した例である。向拝の一部や、厨子の正面間口、小屋組等に後補がみられるが、その他はよく当初材を残している。
     県下の鎌倉時代遺構中、梅田の釈迦堂が純唐様であるのに対し、この堂は和様と唐様を折衷した様式を代表するものとして極めて重要な意義がある。なお内陣の須弥壇、厨子も本堂と同時のものである。
     昭和47年の修理では、正面ほか側面、背面の棧唐戸を復旧したほか、内陣正面の鴨居位置を下げ、脇陣の間仕切を旧規に復し良好な姿となった。また、両側面の前から第2と第3の間に間仕切があったことが判ったが、後世の改修によるものである。
     昭和36年9月の第2室戸台風では被害をうけ、西北隅部の補修を行っている。 


    長保寺多宝塔

       

    国宝 明治37年8月29日指定
       昭和28年3月31日

     この多宝塔は、三間多宝塔の本瓦葺であって、寺伝では本堂と同時の建立とされているが、構造、手法からみると、やや年代が下るようである。康永3年(1344)の弘法大師御影堂建立の勧進状には塔の名が見えることから考えると、その頃にはすでに建立されていたことが知られる。
     本堂が和様、唐様を折衷した様式からなっているのに対し、この多宝塔は純和様を採用している。
     この多宝塔は一重と二重の釣合いがよく均整のとれた優美な意匠をみせる。さらに著しく低い亀腹と、勾配のゆるい屋根などがよく調和して安定感を与えている。細部においても力強い組物に美しい蟇股及び折上小組格天井の雄健な手法など、外観、内容ともに現在多宝塔中の傑作の一つである。
     初重の柱はすべて円柱で、内部には四天柱が建っている。側廻りの柱には、現内法長押の一段上に旧長押取付の襟輪欠きや、長押止釘痕と取付の風蝕差が認められ、かつては頭貫と内法長押間の小壁はもっと狭かったことが知られる。
     現在内部は折上小組格天井となり、天井廻縁に相当する内法長押は幣軸上に廻るが、幣軸の高さが内外異になり、外側では楯前面に取付くので、外側の内法長押が一段上ると内外の幣軸の納まりがよくなる。
     外側の内法長押を一段上げると、両端間の連子窓も高いものになり、形がより整ったものになろう。この塔は和様になるが、内部の仏壇は禅宗様で、その腰の唐草彫刻はすこぶる優美な作である。ことに正面勾欄は平桁がなく、蕨手と地覆間の網目に巴文の入った透彫りは他に類例のない珍しいものである。

    清文堂「和歌山県の文化財 第2巻」より

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  8. NOV
    29
     

    寺の庭 11月29日

     
     

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  9. NOV
    28
     

    Chromebook買いました

    どんなものなのかと思い、Chromebookを買いました

     
    実は、このブログは日本の読者よりアメリカの読者のほうが多いのです
    それも、なぜか去年位から急増しました
     
    なぜなのか全然わかりませんでしたが、どうやら理由がわかりました
    去年から、アメリカの学校や公共機関でChromebookが大々的に使われるようになったのです
    去年の春で、100万台のChromebookが出荷されたということらしいです

    ChromebookのOSはリナックスベースで、非力なパソコンでも高速で動くのがミソです

    今、このページをChromebookで作っていますが、特にストレスはありません
    ちょっと不便なのは、モニタが小さいので、文字が小さくなる事くらいですが、大きさの調節をすることでなんとかすることもできます

     

    パソコンでする仕事は、ほとんどできます

    負荷の高い仕事や、Chromeにない種類のアプリは、リモートデスクトップを使えば、ウインドウズパソコンやMacを簡単に遠隔操作することができます

    デスクトップの作業をChromebookでしています
    後ろがデスクトップの画面です
    wi-fi接続ですが、遅延はほとんど感じません
     
     
     
     
     

    そして、セキュリティの管理が強力で、ほぼ全てのアプリは無料です
    値段が安いのも大きな魅力です

    それで

    僕のブログを、アメリカからChromebookでアクセスする人が急増した、ということなのです

    時代はどんどん変わりますね

    Chromebookが米国でウケた理由 Wired

    http://wired.jp/2015/03/02/acer-chromebook/

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  10. NOV
    26
     

    ホームページのデザインを変えました

    長保寺のホームページのトップページのデザインを変えました
    多少負荷がかかるかもしれませんが、回線スピードが変わってきておりますので、対応できると判断いたしました

     http://www.chohoji.or.jp/

    それに合わせて、このブログの見え方も少し変えました
    長保寺のトップページからインラインで見えるようにしました

     
     
     

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  11. NOV
    25
     

    長保寺の五月からの写真 まとめ

    長保寺の五月からの写真を、まとめたページを作りました
     

    http://www.chohoji.or.jp/intro/201511photo/index.html


     
     
    癒される瞑想

        


    Copyright(c) since 1996 CHOHOJI
    このホームページの内容を許可なく転載することを禁じます
    著作権についてはこちら
    出版、パンフレットなど、印刷物等にご利用の場合は長保寺の許可が必要です
     
     

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  12. NOV
    25
     

    長保寺境内 小雨


     
     
    癒される瞑想

        


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  13. NOV
    24
     

    長保寺 山の様子


     
     
    癒される瞑想

        


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  14. NOV
    22
     

    夕暮れの多宝塔

     


     
     
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  15. NOV
    21
     

    増上寺のお菓子

    18日に、増上寺の塔頭寺院の皆様にご参拝いただきました
    三つ葉葵のはいった、特製のお菓子をいただきました
     
    本尊様にお供えして、今日さげてきて、さきほど開封いたしました
     

     
     
    増上寺は紀州徳川家との所縁も濃く、八代将軍吉宗公の跡を継いだ九代将軍家重公、十四代将軍家茂公の御廟があります
     

     
     
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  16. NOV
    21
     

    夕暮

    大門遠景

    夕暮

    御廟門

    通用門

    紫式部

     
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  17. NOV
    20
     

    西国一番札所で法要

    西国一番札所の那智山青岸渡寺で近畿教区の法要がありました
    天台大師の命日の供養の法要です

    集会所(しゅえしょ)からの那智の滝遠景
     
    法要前の集会所(しゅえしょ)の様子です
    なかなかご覧になれない姿です
    ここで説明を受けているのは、法要で声明などを担当する寺院方です
    会式(えしき)の進行を入念にチェックします
     
     
    会行事(えぎょうじ、法要の進行役)の道成寺住職からの次第(しだい)の説明の様子
     
     
    法要そのものは、総勢50名ほどで、私も参加いたしましたので撮影はできませんでした
     

     
     
     
     
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  18. NOV
    19
     

    エビとカニの水族館

    フリソデエビ
     
    オウムガイ
     
    クリーナーシュリンプ
     
    白いザリガニ
     
    殺人ガニ
     
    ウツボ
    モズクショイ

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  19. NOV
    17
     

    仏教の基本構造

     
     
     

     我々は感覚器官を通じて外界を認識して脳内に再構成しているのです

    ですから、実際は、脳内世界を生きているわけです

    で、真実の世界は、感覚器官で感じる前の世界なわけです

    脳内世界が「色」真実の世界が「空」です

     
     
     

    仏教史最大の学者のナーガルジュナ(龍樹)の説ですけど
    「空」とはなにかを、八不(はっぷ)といって一異、同断、生滅、去来と定義していて、いわば仏教の基本セオリーです

    一つでもなく異なってもいない、同じでもなく断絶してもいない、生じるでもないし滅するでもない、去るでもなく来るでもない

    それで、僕はこれを量子論でいう、Suerpositionと近似する概念だと考えているわけです

     
     
     
    多神世界 仏教の世界観
     

    仏菩薩を尊敬し

    八百万の神を尊敬し

    イエスキリストを尊敬し

    アラーの神を尊敬し

    自分を信じる

     自分を信じられない人は、他になにかを信じることはできません。自分を信じられない人は、誰かを信じているようで、それは盲目的に依存する「おすがり」です

     

    普通、宗教というと、「神を信じろ」と、あなたが何かを信じることを求めるわけですけれど、基本、仏教はそういう構造にはなっていません

     
     

    仏教ーーーーー>いつか仏になる 

     
    大まかに言って、仏教と西洋哲学と量子論の基本構造は、同じです

    出家–>真実の生活–>空 

    在家–>仮の生活–>仮 

    形に捉われない生活–>現在の日本仏教–>中 

    「みんなが、もうちょっと上を目指すにはどうしたらいいか」を念じたら、あなたは、お釈迦様と同じですよ

    お堂の前で拝む時のコツ

     

     

     

     

     

     

     

     

    お堂の前でしかできない、簡単ですが、効果のある一種の瞑想法ですね
     

    お堂で拝む時のコツ 理論編

    密教に三平等観という瞑想法があるのですが

    我とホトケと平等
    ホトケと衆生と平等
    ゆえに、我と衆生と平等

    ホトケが我を無条件に加持するのと同じように、ホトケは衆生を加持しています

    我<ーーーーホトケーーーー>衆生

     

     
     
     

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  20. NOV
    17
     

    御霊屋(おたまや) 和歌山県指定文化財

    東廊下

    側室仏間外陣天蓋

    藩主仏間外陣密壇

    南廊下雪洞

     

    寛文年中、紀州徳川藩主頼宣は熊野巡視の帰途当寺に立寄られ、菩提寺と定めました。

    頼宣公は仏殿一宇を建立したが、寛文11年(1671)頼宣逝去の折その遺言によってこの地に埋葬されました。その後、仏殿を位牌 堂にあて、新たに陽照院を造立して院室とし、寺領五百石を賜りました。
    この建物は寛文2年(1662)9月に工を始め、同6年7月柱立、同7年11月に落成しました。

    間取りは北側に霊室を設け、東側に次の間を設ける。南側は西寄(霊室の裏)に代参部屋を設け、東に続いて霊室および次の間を設けている。 東および北側には一間の広縁を設け、さらに外部に濡縁を付け、南側には一間の畳敷の廊下がある。東南隅には南面した玄関と、玄関の間を張出しに構え、物置を付属する。 西側の二室のうち北寄りの室には厨子一基があり歴代藩主の位牌を祀る。 南寄りの室には厨子二基を置き、向かって右の厨子には各藩主の正室を、同じく左側の室には側室と子息の位牌を祀る。 各室とも面取りの角柱を用い、広縁廻りは部屋境、外廻りとも一間毎に柱を建てている。 北及び南の霊室は上段構えにして、来迎柱は円柱漆塗、西方壁際に須弥壇を据え厨子を納める。 南の畳廊下の柱には舟肘木を納め、棹天井を張り、長押痕はあるが現在省略され、もとは二カ所に境界のあったのを取り除き、外廻りは現在中窓構えにしている。


     
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  21. NOV
    16
     

    寺の庭

    千両

    紫蘭

    八手
     

    熊笹


     
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  22. NOV
    15
     

    金魚

    中庭の池


     
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  23. NOV
    15
     

    長保寺 国宝多宝塔

    相輪

    肘木

    肘木と蛙股

    鎌倉時代の鬼瓦


     
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  24. NOV
    14
     

    秋の一コマ

     
     


     
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  25. NOV
    12
     

    コーヒー

     和歌山市のGreenBeansという店で、ホンジュラスを浅煎りに焙煎していただきました
    浅煎りでありながら酸味があまりなく、まろやかな味を狙っています

    淹れている写真は、飲むのに夢中で撮り忘れました(^^;;
    焙煎したその日の豆ですから、香りがいいです


     
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  26. NOV
    6
     

    お堂で拝む時のコツ 理論編

    前回書きました「お堂で拝む時のコツ」には、背景に仏教のきちんとした理論があります

     
    専門用語で言うと、「三平等観 さんびょうどうかん」と言いますが、舎利礼というお経に説明があります
     
    舎利礼(しゃりらい)

    インドのデリー国立博物館にある仏舎利塔
     
    仏舎利(中央部分の拡大) 
     
     
    舎利礼の一節です
     

    為我現身 入我我入 仏加持故 我証菩提
    いがげんしん にゅうががにゅう ぶつかじこ がしょうぼだい 

    以仏神力 利益衆生 発菩提心 修菩薩行

    いぶつじんりき りやくしゅじょう ほつぼだいしん しゅうぼさつぎょう

    「我が現身をもって入我我入し、仏の加持の故に、我は菩提を証す

    仏の神力をもって衆生を利益し、菩提心を発し、菩薩の行を修す」

     
    ま、わかりにくいです
     
     
     
    密教に三平等観という瞑想法があるのですが

    我とホトケと平等
    ホトケと衆生と平等
    ゆえに、我と衆生と平等

    ホトケが我を無条件に加持するのと同じように、ホトケは衆生を加持しています

    我<ーーーーホトケーーーー>衆生

     
     
    以心伝心という言葉がありますが、心が通じる、心が通う、といったことですね
     
    理屈は、そういうことなんですが、じゃ、どうするの、となるわけです
     
    それで、一番簡単なのが、お堂の前で
     
    1 本尊様の名前を呼ぶ
    2 息を吸う その時本尊様の力が体に入る、と思う
    3 息を吐く その力を分けてあげる、と思う
     
    となります
     
     

     
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  27. NOV
    5
     

    お堂の前で拝む時のコツ

    長保寺国宝本堂

    お寺とか神社にお参りに行って、お堂の前で拝む時のコツです

    先ず
    本尊様の名前を呼びます
     南無観世音菩薩、とか
     南無釈迦牟尼仏、とか
     南無東照大権現、とか
    そのお堂の、本尊様の名前を呼んでください

    次に
    息を吸います
     その時に、本尊様の力が体に入ってくると思ってください

    次に
    息を吐きます
     自分に入ってきた本尊様の力を、好きな人に分けてあげると思います

    お堂の前でしかできない、簡単ですが、効果のある一種の瞑想法ですね

     
     
     
     
     

    お堂で拝む時のコツ 理論編http://chohoji.blogspot.jp/2015/11/blog-post_6.html

     
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  28. OCT
    31
     

    十夜会 & ミニコンサート

    例年のとおり、有縁の皆様の御精霊をお迎えして、念仏供養の法要をおこないます
    十夜会(じゅうやえ)という名称は、古来は十日十夜にわたって法要がおこなわれた名残です

    本年は、歌の奉納もあわせておこないます
    歌は、4曲位を予定しております

    皆様どうぞお参りください

    十夜会(じゅうやえ)のご案内

    日  平成27年11月3日(火) 午後3時より
    時  午後3時より法要 休憩の後 3時半過ぎごろより歌の奉納
    所  長保寺 御霊殿(おたまや)

     
    ミニコンサート
     歌   瑞樹比美香
     ピアノ 原田ゆかり

    現在、長保寺の御霊殿(和歌山県指定文化財 寛文六年建立 1666)は一般公開されておりませんが、十夜会当日だけ、内拝できます
    この機会に、是非ご参拝ください



     

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  29. OCT
    30
     

    石庭の砂紋

    久しぶりに砂紋をきちんと書きました

    石庭は日本独自の抽象芸術です

    海に浮かぶ島にも見えるし
    雲海からそびえる山頂にも見えるし
    せめぎあう人間関係にも見えます

    石畳の石が青みがかって見えますが、これが紀州の青石です
    藩主御霊屋の玄関先ですから、江戸時代に最高の石を吟味して据えられています

    寂光庭(じゃっこうのにわ) 平成11年7月 重森千靑作庭

     
     

    長保寺 寂光の庭 七五三の石組み

     
    寂光庭の工事の様子(平成11年)

    http://www.chohoji.or.jp/news/jakkou.htm

     

     
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